早い電話で、びっくりした。きのう、「本当の誕生日は、2月25日です」と書いたら、すぐに電話が入った。「日記、見ました。来ても、いいですか?」「どうぞ。午後の3時過ぎなら」。応接間を暖めて、待っていると、3時過ぎに、タクシーが玄関に停まった。隣の町から来た若い女性。もう長年の顔見知り。女性が言った。「おめでとう。心温まる、充実した1年に、なりますように」。差し出されたのが、写真の、3点セットです。「ありがたいですね」。1時間半、向かい合って、おしゃべりしました。ほとんど、手前が語りました。ごめんなさい。せっかく来てもらったのに、「まあ、当方のお祝いだから、いいでしょうね」。何を話したかって?いつも、同じセリフ。「85歳にもなれば、つくづく、生かされているのを、感じます。カラダの具合も、微妙なところで、生きている。せっかくだから、ゲンキを出そう。おまけに、ニッコリ、ほほ笑んで、皆さん、いらっしゃい」。これだけで、今は、十分でしょう。気持ちは、単純なんですね。女性は、帰りしなに、色紙を注文しました。先ほどの日記に載っていた(2月3日の日記)、この色紙を頼みます。「苦しみにも、意味がある。汝(なんじ)、今は知らざれども、後には、之(これ)を知るべし」。女性も、若いのに、さまざまな苦労を耐えているようです。知っています。苦しいでしょう、でもね、信頼して、希望をもって、耐えて行けば、必ず後では、開けるし、安らかに、なる。そう信じて、がんばろうね、と思いつつ、背中を押して、タクシーを見送った次第です。
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