長崎のカトリック修道士。17歳の時、原爆を受けて、この道に入る。 生かされて来た数々の恵みの中で、今年の1月、最大の試練「すい臓がん」を告知された。 「みむねの・ままに」。孤独と苦痛に耐え得るチカラを日々、祈る。 毎日、日記を書き続けて13年。今、長崎市の病院・ホスピス病棟で暮らす。 追記 2021年4月15日 午後6時48分 帰天されました。享年93歳
2012年8月29日水曜日
入院2日目。「助けて」。メールで千草さん駆けつける
ベッドで、苦しくて、悶々とするなか、千草さんが、顔をのぞかせた。千草さんは、幸い、この病院から徒歩2分のところに家がある。早速、「助けて」と、メールを送った。すぐ、心配して、介護に駆けつけてきた。「おお、助かったぞ」と、まず安心。写真は、千草さんが着ていたシャツの、マリアさまと、コルベ神父です。「私は、写さんどって、ね」。介護を受けて、朝食を食べたが、その後、激しい悪寒におそわれる。「タマラン、タマラン、寒かーぞ」。すごい悪寒。熱が、9度まであがり、アセが、ビッショリ。看護師さんたちが総出で、肌着も、ベッドのシーツもすべて替えた。意識は、もうろう。お医者さんは、まだ観察をつづけている。点滴は、続行。すると、急に、「グワー」「グワー」っと、3度、嘔吐した。朝めしは、全部、吐き出した。素人ながらに、思ったね。「水分を取ったり、点滴を打ったりしているから、結局、腎臓が適応できなくて、吐き出したのだ」。着替えた後、病室を変わった。3人部屋の真ん中だった。モンクは言えません。でも「その夜がタイヘンだった」。主よ、苦しいです。タマランです。悲しくなった。心細くなった。「主よ、この苦しみを、あなたの十字架に、合わせてささげます」。尿が、1滴も、出ない。これほどの苦しみが、あろうか。「ああ、また、始まったか」
平熱に下がって良かったです。
返信削除さぞかしお辛かったでしょう。
お祈り続けております。
平熱に下がって安心しました。
返信削除回復を、毎日お祈りしています。
お熱と読んでびっくりしましたが、
返信削除平熱におなりになって、安堵いたしました。
お祈り申し上げております。