長崎のカトリック修道士。17歳の時、原爆を受けて、この道に入る。 生かされて来た数々の恵みの中で、今年の1月、最大の試練「すい臓がん」を告知された。 「みむねの・ままに」。孤独と苦痛に耐え得るチカラを日々、祈る。 毎日、日記を書き続けて13年。今、長崎市の病院・ホスピス病棟で暮らす。 追記 2021年4月15日 午後6時48分 帰天されました。享年93歳
2012年5月23日水曜日
天草の教会は、静かな丘にあった。キリシタンの信仰を今に
オバマ温泉・富士屋さんから、天草へ向かった。日帰りの巡礼だった。天草には、3つの教会がある。本渡、大江、崎津。写真は大江教会です。ガルニエ神父(フランス人宣教師)が造った。私が初めて天草へ行ったのは、昭和32年(1957年)秋だった。ガルニエ神父の賄い男性は、茂助です。茂助の養子が、森口等さん。等さんから、ガルニエ神父の思い出を聞いた。「お前たちが、山へ行って、危険に会うたとき、カカ来てくれ、とオラブように、罪に落ちそうになったとき、天のカカ、来てくれと、頼むのじゃよ」「儲けても、いいが、チキリの目はゴマカスナ」「ヒトのものは、盗むなよ」。神父は分かりやすい言葉で説いた。ドイツとフランスが戦争をしたとき、「新聞はどうなっているか。フランスは大丈夫か」。フランスが無条件降伏する。等さんが「神父さま、お気の毒なことになりました」「ああ、負けたか」「いいえ、負けたことじゃありません。パリの有名な建物を破壊しないために、手をあげました」。その傍で、学校の生徒が「フランス、負けた」と、はしゃいで通った。神父は「この歳になって、恥かいた」と、オイオイ泣いたと、等さんは言った。昭和16年、太平洋戦争前に、ガルニエ神父、82歳で神に召された。あの森口等さんはどうなったであろうか。消息を聞くのを忘れた。
大阪在住です。「五足のくつ」から大江天主堂とガルニエ神父・そして茂助さんを知り、一度茂助さんのお墓を訪ねてみたいと色々調べているうちにこちらの記事にたどり着きました。拝読し、非常に胸に迫るものがありました。ゴールデンウィークに大江天主堂に伺う予定をしていますので、森口さんについてお話を聞いてみようと思っています。貴重なお話をありがとうございました。
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