長崎のカトリック修道士。17歳の時、原爆を受けて、この道に入る。 生かされて来た数々の恵みの中で、今年の1月、最大の試練「すい臓がん」を告知された。 「みむねの・ままに」。孤独と苦痛に耐え得るチカラを日々、祈る。 毎日、日記を書き続けて13年。今、長崎市の病院・ホスピス病棟で暮らす。 追記 2021年4月15日 午後6時48分 帰天されました。享年93歳
2012年4月24日火曜日
3つの記念日です。上陸。命日。日記の書き始め
①1930年(昭和5年)4月24日。コルベ神父、ゼノ修道士たち聖母の騎士たちは、この日の午後1時頃、長崎丸で長崎港に到着。日本の地に、第一歩を記した。彼らが長崎へ来たおかげで、私も聖母の騎士に入ることができた。②1982年(昭和57年)4月24日。この日、ゼノ修道士が神に召される。ちょうど長崎へ上陸した日の同じ時間、ローマン修道士の証言によると、午後1時頃に、東京のベトレヘムの園病院で、ゼノ修道士は亡くなったそうである。日本生活、52年。90歳であった。没後、30年になる。また今日は、私ごとながら、もう1つの記念日でもある。それは③『登明日記』を書き始めたのが、3年前の、2009年(平成21年)4月24日であった。あれから毎日、ブログを書くのが楽しみとなった。しかし実は日記を書き始めた動機は、少々深刻で、その同じ月の4月2日に、突然の血尿を見て、ボウコウ・ガンといわれ、身も心も痛む療養生活が始まったからであった。「人は、どのように死んでいくのか」。記憶しておこう、そういうヤボな気持ちでパソコンに向かった。あれから3年が経過して、本当に様々な、膨大な出来事が起こったと思う。そして最後を言えば、先日の、思いもかけぬ腎臓に発症した結石であった。1週間おきに、2回の全身麻酔をさせられ、2回にわたって、大小、13個の結石を取り出し、見せられたときは、さすがに唖然として、これが尿をストップさせた原因かと、奇妙な気持ちになった。日記も4年目に入る。さあ、これから、どんな人生が待っているのか。切り開いていくのか。さらに楽しみである。どうぞ、日記を読んでくださる皆さんも、つづいての応援をお願いします。
来日と帰天が同じ日であることを昨日発見して、不思議な感じがしました。
返信削除今日も記念ミサが行われているのでしょうか。
心を合わせて、お祈りいたします。
小崎修道士さんが、こうしてコルベ館を守り続けているのは、立派な恩返しですね。
ゼノ修道士さんは、喜んでおられるでしょう。
日記4年目、おめでとうございます。
過去の日記も、順番に読ませていただいております。
ご病気の苦しみがあったからこそ、見えた真実、受けた恵みが、ぎゅっと詰まっている日記です。
今日の日を与えて下さった
返信削除神様のお計らいに心から感謝致します。
これからも日記を楽しみにしております。