長崎のカトリック修道士。17歳の時、原爆を受けて、この道に入る。 生かされて来た数々の恵みの中で、今年の1月、最大の試練「すい臓がん」を告知された。 「みむねの・ままに」。孤独と苦痛に耐え得るチカラを日々、祈る。 毎日、日記を書き続けて13年。今、長崎市の病院・ホスピス病棟で暮らす。 追記 2021年4月15日 午後6時48分 帰天されました。享年93歳
2012年1月15日日曜日
欠点を治す方法を教えます、と47年前に書いた
修練の古いノートを数冊残している。懐かしく、その1冊をあけて見た。ミロハナ神父の講話の記述である。1964年8月から65年2月までの講義。ミロハナ神父には私が若い頃、ホントウにお世話になった。恩義は今も感じている。修道士になって、服を着ても、自分が聖成に進むわけではない。リッパな師匠について修業にはげむ。師から導かれて徐々に聖化する。教えを請うことが足りないと思う。ミロハナ神父は、礼儀作法から、マリア信心、聖成、欠点まで口述し、鍛えた。若かったから付いて行ったんだなあ、と思う。64年9月10日の講義に、「聖成と欠点」とある。欠点とは、悪を習慣的に行なうことで、様ざまな欠点は、種類は多いが、結局、ゴウマンの1点に集約される、という。祈りの散漫、目上への不従順、むやみに立腹、不機嫌、モノへの執着、食欲、性欲、人の足を引っ張る、不摂生など、欠点はみんなゴウマンの子どもですという。神に従わないこと。すべてのツミの親はゴウマン。「欠点を治すには、けがれない聖母を通して、信頼をもって、神の恵みを求めること。それと治したいと望みを持つことが条件です」と教えた。歳は取ったが、欠点はいつまで経っても残る。失望してはいけない。人間を律することは、何10年たって世の中が変わっても、不変。ミロハナ神父さんが亡くなって、もう23年になる。ノートだけが今も残っている。
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