長崎のカトリック修道士。17歳の時、原爆を受けて、この道に入る。 生かされて来た数々の恵みの中で、今年の1月、最大の試練「すい臓がん」を告知された。 「みむねの・ままに」。孤独と苦痛に耐え得るチカラを日々、祈る。 毎日、日記を書き続けて13年。今、長崎市の病院・ホスピス病棟で暮らす。 追記 2021年4月15日 午後6時48分 帰天されました。享年93歳
2012年1月4日水曜日
外海・黒崎の信徒・福祉活動は、ささやかに60年
昨日は黒崎へ行ったが、キリシタンの里に行くのは、信仰面で喜びがある。田舎の信者たちが、現在、どのように信仰を守っているか。先祖から受け継いだカトリックは消してはならぬ。活力を貰いたい。そんな気持ちで行った。奥さんの見舞いの後、昼食は福松さんの家で食べた。店から皿ウドンを取ってくれた。家では牛肉テンプラを揚げた。白身の魚のミソ汁も、おいしくいただいた。食べながら福松さんがビルマ戦線の出来事や、イノチ拾いした実話などを聞く。また黒崎の信徒の活動で、福祉の「ヴィンセンシオ会」の話を聞いた。終戦直後に、1950年2月12日に、長崎・浦上信徒のヴィンセンシオ会の片岡弥吉先生が来られて、黒崎に創立された。福松さんなど最初のメンバーは3人。今では福松さんだけが残る。あとは天国へ。それでも活動は若手会員に引き継がれ、現在も7人が活躍中。すばらしい愛の実行がつづく。こんな田舎で隠れた愛徳行為に感心する。黒崎教会を中心に、へんぴな田舎の病人や老人を励まし、ささえつづけ、90歳以上の家庭訪問を行なっている。福松さんは88歳、彼がこの年で、老人たちを見取っているのは素晴らしい。福松さんは毎日、朝夕の祈り、ロザリオを唱える。いまは奥さんが入院なので、1人で祈る。週に2回は朝ミサで祈る。ああ、こうした祈りが黒崎にある限り、カトリックは消えない。若いヒトたちよ、子どもさんよ、祈りと要理を忘れたら、ダメよ。
祈りと要理を忘れたら、ダメよ。 ★ ですね。
返信削除ヴィンセンシオ会のように若い世代に繋いでいくことが大事!今の時代、それがなかなか難しくて、消滅してしまう。
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