長崎のカトリック修道士。17歳の時、原爆を受けて、この道に入る。 生かされて来た数々の恵みの中で、今年の1月、最大の試練「すい臓がん」を告知された。 「みむねの・ままに」。孤独と苦痛に耐え得るチカラを日々、祈る。 毎日、日記を書き続けて13年。今、長崎市の病院・ホスピス病棟で暮らす。 追記 2021年4月15日 午後6時48分 帰天されました。享年93歳
2012年1月2日月曜日
元日に来た母と娘が、今年、最初のサインを記した
資料室の「聖コルベの部屋」に、サイン帳が置いてある。2006年から書き始めたサイン帳が、大晦日で、余白のページがなくなった。新しいサイン帳、13冊目を置いた。「さあ、元日に誰が見学に来て、このノートに最初にサインするか?」。私の楽しみ。ところが待っても、待っても、元日に誰も来ない。これも震災の影響か、不景気なのか。「ああ、もうダメか」と、あきらめていたところ、閉館5分前に、母と娘が入ってきた。「おお、よく来たね。どこから?」「東京です」。早速、部屋へ案内して、サインをさせた。「よかったなあ、あなた方が、今年、最初のサイン者です。マリアさまのお恵みあるよ」。そう言われて2人も喜んでいた。「コルベ神父、知っている?」。娘は「幼稚園のとき、絵本でコルベ神父さまの話を聞いた。それを忘れず、来ました」。お母さんは「長崎は始めてです」。母がレンタカーを運転して、平戸・長崎・天草をまわる。長崎の駐車場でライトを点けて駐車して、バッテリーが上がったトラブルもあった。「それでコルベ館に来るのが遅くなった。見学ができて良かった」。私は2人を黒の長椅子に座らせ、少し話した。「7歳で父、病死。17歳で母、原爆死」と言うと、娘が「私も17歳」。いま働いている。母に聞いた。「昨年を1字の漢字で表すと、何?」。母いわく「悟(さとり)です」。人生、いろいろ有るなと思いつつ、私は母に、「コルベ神父は家庭の保護者です。祈りなさい」。そして「私は今年84になるが一番大事なのは、愛といのちだよ」と力説した。「舟を沈没させないようにね」。すると娘さんが言った。「舟の底に小さな部屋を作っておくといいです」。話し込んで、私は祈りに遅れた。別れしなに「日記に載せるからね」。今朝、サイン帳を見たら、娘さんは「今年も楽しく生きられるように見守ってくれたらいいなあ」。母は「神父さまにお会いしたかったです」
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