小崎登明の93歳日記

長崎のカトリック修道士。17歳の時、原爆を受けて、この道に入る。                            生かされて来た数々の恵みの中で、今年の1月、最大の試練「すい臓がん」を告知された。 「みむねの・ままに」。孤独と苦痛に耐え得るチカラを日々、祈る。           毎日、日記を書き続けて13年。今、長崎市の病院・ホスピス病棟で暮らす。 追記 2021年4月15日 午後6時48分 帰天されました。享年93歳

2016年2月29日月曜日

善意に支えられ、生きてきた、88年。感謝しか、ない

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白浜さんから戴いた「祝・米寿」のケーキです。大きなローソク、8本。少し小柄なローソクも、8本。フルーツが盛りだくさん。火をつけて、写真に撮ればよかったな。感謝して、喜んで、食べました。 ★「米寿を迎えて、何を感じますか」 ★人は、一人では、生きられない。生まれて、この方、...
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2016年2月28日日曜日

もう八十八の米寿のお祝いのケーキが贈られた

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日曜日。朝食のあと、しばらくして入浴する。いつもの通り、背中を流してくれる男性といっしょだった。湯船は、かなり広いので、身も心も、ゆっくりの気持ちになる。90歳とおもっていたら、92だという。きょうも、黙っていても、背中を流してくれる。 ★自室に戻って、一息入れると、長崎か...
2016年2月27日土曜日

オーストラリア人の男性が、長崎・研究にやって来た

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「わたしは、オーストラリア人です。歳は、43歳。大学の博士研究員をしています。お話をお伺いするため,来ました。よろしくお願いします」。1週間ほど前に、電話があった、その人が、ホームへやって来た。長崎は、冬といえども寒いのに、上着を脱げば、シャツ1枚。日本語は、上手で、会話にさ...
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2016年2月26日金曜日

35年前になるか。パパさまが長崎へ平和巡礼された日

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2月26日は、忘れもしない、パパさま(ヨハネ・パウロ2世)が、長崎を平和巡礼された日です。(この写真は、そのときの場面ではないのですが、パパさまの写真が手元にないので載せました) ★1981年ですから、もう、35年前になります。ということは、40歳ぐらいの人は覚えていないこ...
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2016年2月25日木曜日

米寿のお祝いに、バックが届く。蔵彩布です。嬉しい

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「生まれは、どこですか?」。そう聞かれるのが、ちょっと胸が苦しい。「東京です」「大阪です」「東北です」「九州です」。どれも、ひびきは、いいじゃありませんか。ふるさとに、誇りがもてる。 ★わたしは、「北朝鮮です」。そう語るには、説明がいる。説明が長いーンだな。わたしの父親は、...
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2016年2月24日水曜日

新聞に、「自分の寿命を知りたい?」。賛否は、半々

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あと、1週間で、誕生日がくる。 ★去年の誕生日には、ホームで職員さんから色紙を戴いた。それが、この色紙です。大きく『心』と、見事な字で書いてある。自室の壁に、大切に下げて飾っている。 ★書いてくれた職員さんは、ほぼ、誰か、検討はついている。それで、この間、出会いがしらに、...
2016年2月23日火曜日

黒いカゲから、オーラは出るか。いや、いや、ふつう

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聖コルベ館に居たとき、これに似た写真を撮ったことがあったが、また偶然にも撮れたので、載せました。 ★修道士といっても、ホームに入れば、普通の入居者です。普通の男性です。入居して、長い間、修道服は着けていなかった。黒色のシャツを着て、ミサにも祈っていた。クリスマス・イブから、...
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自己紹介

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小崎登明
長崎市, 長崎県, Japan
長崎県在住のカトリックコンベンツアル会の修道士。コルベ記念館の館長を務める。ここでの活動の他に、原爆被爆体験の語りべ、平和学習活動にも取り組む。ホームページURL http://sites.google.com/site/tomaozaki/
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