2月5日(金)に、入院する。今日で、丁度、1か月。最初は一般病棟の2階だったが、24日にホスピス病棟、4階に変わった。
★昨日は、午前中、シャワ―を浴びる。午後も、幾つかの携帯の対応も出来た。鼻サンソは付けていた。朝食、昼食、夕食も完食する。しかし食欲は全くない。
★8時半、オシメを着装して、眠りにつく。12時まで、眠った。その後が受難。腹部の痛み、身の置きどころのない悶え。コールで看護師さんを呼ぶ。「坐薬を入れましょう」。痛みは治まったが、眠れない。4時のラジオ「深夜便」を聞く。その後、眠ったらしい。看護師さんから「朝ですよ」と起こされた。本格的に、痛みが始まったのか。朝食の「やわらかいご飯」は、吐き出した。
★教え子の美帆が、千葉から面会に来た。毎日、日記を見ている。心配した。トマの携帯を知らない。何とかして、番号を知ったらしい。急に携帯に美帆の声。「会いに行きたい」「来るな。面会禁止だ。厳しいぞ」「でも、来る。飛行機のチケットも買った」
★4階と、道路の、切ない出会い。椿原小・中のとき、窓からトマ校長の姿を見る子だった。卒業して、紡績で働き、九州へ帰ってから、聖コルベ館に逢いに来た。卒業から10年が経っていた。あの頃の美帆は美人だったな。それから20年、こうして見舞いに来る。10分程度の見合いだった。携帯で話し、美帆は手を振って、去った。
★昨晩、千葉の美帆から携帯に声。美帆が歌った。椿原・学校時代に、よく唄った歌だった。「朝日に燃える、汚れなき、マリアの姿、うち仰ぐ。我らは、聖母の若騎士だ。肢体にみなぎる、マリアのチカラ、マリアのチカラ」。美帆は3番まで歌ったよ。トマはベッドで泣いたね。美帆よ、ありがとう。トマは幸せだ。
★【ベッドの上で考える=受難の道】襲い掛かる痛みと、身の置きどころのない悶え、カルワリオへも道行きは始まるのか。
★【昨日の閲覧者数=統計】1498。
痛みの軽減を、お祈りします。
返信削除トマさん。痛みと「身の置きどころのない」全身の倦怠感が少しでも軽くなりますように。今日も明日もあさっても新宿よりお祈りしております。
返信削除今日も日記更新有り難うございました。
返信削除教え子の美帆さんのお見舞い、お歌に心が強く打たれました。
そしてトマさんが幸せだと思われる事に感動致しました。
天国からお母様も見守って下さっていますね
痛い時には我慢せず早めにお薬をお願いして下さいませ。
今日も札幌からお祈りしております。
トマさん、こんにちは。
返信削除今日も更新ありがとうございます。
痛みが少しでも軽減するよう、お祈りしています。
何十年経っても、会いたい先生と涙してくださる先生。
返信削除心打たれます。
今日も栃木よりお祈り申し上げます。
父親のように親身になって、生徒たちの面倒を見ていたトマ校長先生。
返信削除閲覧者数の中に、教え子さんたちもかなりいらっしゃるのでは。
当時の面白いエピソードはトマさんの著書で読みましたが、もしよかったら、また教えて下さい。
校長先生時代のなつかしい思い出が、今のトマさんに生きるチカラを与えてくれますように。
痛みのなか、日記の更新ありがとうございます。
返信削除美帆さんの歌声は心の灯火となりますね。
痛みがやわらぎますようお祈りします。
トマさんの『長崎のコルベ神父』英訳を最初に読み、「真珠のようだ」と表現したアメリカ人シスターも、トマさんのために祈りを捧げています。
返信削除私も学生たちと祈ります。
どうか、どうか、痛みが和らぎますように。静岡の地から祈ります。
返信削除美帆さん 偉いね
返信削除お祈りしています。
返信削除お祈りしています。
返信削除たまたま今日写真を見ていたら、私の祖母が90年に椿原小中学校で小崎さんと生徒さん達と一緒に写ってる写真を見つけました。ちょうど今日、日記に椿原小中学校の事が書いてあったので、びっくりしました。
返信削除一昨年の年末フランシスコ園に寄せて頂きました山本吉見の孫の敦子です。
福井からお祈りさせて頂きます。
苦しんでも、超越的な主キリストの愛を感じられますように、お祈りしております。
返信削除校長先生と小崎さん。私にはどちらも呼ぶ事ができます。
返信削除小崎さんが校長先生として自己紹介をしたあの朝の集会の時、
私は覚えています。その当時私は小学6年生でした。
「今日からこの聖母の騎士小学校、椿原中学校の校長を務める
田川幸一です。」
それが校長先生としての初めての出会いでした。
校長先生は決して威張ろうとせず、私たちと同じ目線で接して下さり、
暖かい目で私たちにいろんな事を教えてくださいました。
私は親の愛情に恵まれていなかったので校長先生の優しさと暖かさが
とても嬉しかったのか、よく学校の事務所の窓から「校長先生!」って
声かけながら先生の姿を覗いていたものです。
その都度先生は「おお〜どうした〜?」って答えて下さった姿が
今でも昨日のように思い出します。
卒業式でも、私は小中学校と共に出席番号が一番なので
一番最初に卒業証書を授与された事は私の唯一の自慢です。
小学校、中学校を卒業してもなぜか先生とは縁があり、
社会に出ると施設で経験できなかった事がたくさん起こります。
本当に自分1人では苦しかった事や辛い事が起こります。
それでもお盆休み、正月休みの時普通にお会いできた事が何よりでした。
その時はやはり小崎さんと私は校長と生徒でしたね。幾つになっても。
今でもそうですよ。校長先生、小崎さん。
今回のブログに私の事を書いて下さってありがとうございます。
小崎さんは私にとっていつまでも教師であり、修道士です。
素晴らしい出会いをさせて下さった事に感謝します。