10月上旬、『こころの時代』(長崎地方)の放送があった。その影響に、おどろきました。すぐ電話がかかってきました。「雲仙のビードロ美術館の館長です」と男性の声。「修道士さんが、ホンネで、人間を語る。感激しましてね。これなら、付いていける。面会に来ても、いいですか」。約束の昨日、現れたのが、写真の男性でした。
大型カメラに、録音機に、ビデオまで、機材を揃えての訪問。「ぜひ、ナマのお声を聞かせてください」
★長崎県の島原出身で、74歳になる。大学・教育学部を出て、小学校の教師、校長、教育委員会などの経歴がある。貫ろくが、ありますよ。「7時のニュースを見て、次は『こころの時代』でしょ。5分程見て、これは、いいな、と録画しました。ホンネで話されるのが、気に入りました。ぜひ、もう1度、話を聞かせてください。有家の史談会もやっています」。会誌も渡した。
★情熱的な男性に、感心する。テレビでは、「助けない」「助けていたけど、困難が来れば、逃げる」「赦さない」を語ったが、テレビには出ていない部分もある。ケガをした女子学生を、タンカに乗せたが、爆音が聞こえて、置き去りにして逃げた。「10年後、その女学生に出会った。助かった経緯」の後日談を熱っぽく語った。
★彼のおみやげは、大きなリンゴ、2段重ねだった。「小学校で教えていた時、何を目標に示していたのか」と、トマが質問。彼は「勤労、勉学、大志」と答えた。勤労は、働いての自立。勉学は、知識を知性に転換し、自分が、どう生きるか。大志は、アンビシャスですよね」
★この男性のような訪問者が来ると、こちらも元気をもらう。ありがたいと感謝する。トマも、今から50年程まえ、「原城330年祭」があり、ミサと講演が行なわれた際、祭りに参加して、口之津から、有家付近を訪ねた。記事も残っている。コピーして、彼に渡した。「今日は、語りべに聞く小学生になりましたよ」と喜び、聞いた事を記事にまとめて、送るという。どんな記事にまとまるのか、楽しみにしている。
★やっぱり、思うね。「人間って、何んだ。人間の本性って、何んだ。助けない、困難が来れば逃げる。赦さない。いかにすれば、乗り越えられるのか」
「自分がどう生きるか」は常に天から
返信削除問われているとわかります。
今、がぶらってぃの暮らしの中で一番苦しいのは、
自分を赦せないでいる人が、不安をもって迷い、
苦しんでいるのを身近に感じることです。
その苦しみは、その方自身が自己の魂と繋がって、
自分で自分を癒やしていくことで浄化されると
思うのですが。頭・知識で考えようとする
クセのある方の場合、魂に繋がるまでに
重い土瓶の蓋があるようです。
がぶらってぃは、その土瓶の蓋が少しでも
浮いて、近い将来ぱかっと開くように、
魂の繋がりをもって祈る日々です。
トマさんが何も隠さずに語られた
『こころの時代』は、繋がりの手をどんどん
広げて、聖なる普遍の教会を見せてくれていますね。
『こころの時代』によって開かれた扉は、
情熱を抱いたビードロ美術館の館長先生によって、
さらに押し広げられ、多くの方々に光を
見せてくれると思います。楽しみです。
受取手それぞれに伝わる言葉が用意されますように。