すっかり秋らしくなった。コスモスの花が咲く。
写真には、2011.10.16・の記録がある。ちょうど、9年前になるね。あの頃、何をしていたのだろう?。
その2年前は、ボウコウ・ガンが発症し、苦悩の年であった。尿が出なくなったり、大変な経験をした。それでも、イノチに縁があったんですね。この写真を撮った頃は、両眼の白内障の手術をした後だった。
手術の効果は、抜群に良好。視野が明るく、遠くもハッキリ見える。メガネなしで、パソコンも打てた。顔も、まんまる。痛みを知らぬ顔しているね。2011年のこの年は、津和野、出雲、広島、鳥取などに出かけている。軽も、新しい車に乗り換えた。軽を運転して、市外へ出かけた写真だね。あの頃は、まだ本当の苦労を知らなかったね。老いてから、知る。
★ホーム聖フランシスコ園へ行く。入居している修道士、フランシスコ中村安五郎さんを見舞った。コルベ神父さまが長崎を去る年の春に、志願した修道士さんだった。今にして思えば、結局、トマも入居して、中村修道士さんを見送ることになる。
★次に向かったのが、騎士園の施設・学校。ここにはトマの足跡がある。その途中の農村で写したのが、このコスモスです。村には、代々歴史あるお寺があって、騎士園創設の時には、ゼノ修道士が、お寺に泊まって、建設に貢献している。
★騎士園・施設の学校に勤めた頃は、よく、この辺に、児童を連れて、野外学習に来た。観察や、絵を描いた。腕白の子ども達だったが、今も元気にしているか。小学生たちは、3,4年生が、いちばん、ゆうーことを聞かなかった。家族から離れて、誰もが、寂しい。愛されたい。かかわって、もらいたい。そのような子供たちが学ぶ学校だった。小学生は、担任教師の背中に背負われるのを求めた。振り落とすと、すねたモンだ。自分に注意を引こうとする。かわいいモンさ。子供にも、人間の根性というか、本性というか、そのような底辺の、むきだし部分があった。今となっては、なつかしい。
★朝の祈り、が書いてある。「お前は、どちらか? 己のために宝を積ませる者か、あるいは神の前に富ませる者か、さあ、どっち? 結局、人生は、この二者拓一に尽きるなり」(ルカ12の21)
★昨日の書道で、「竹下清流泉」を書いたが、読み方や意味が分からなかった。コメントで教えられた。読みは、「竹は下ちて、清泉に流る」。意味は、「竹は、流れ下って、清い泉にそそぐ」。ホームに接して、細い竹林があるが、写真が撮れない。
書かれている日記から多くを考え、学びとって
返信削除おります。手が追いつかず、コメント反映に
時間を要し申し訳ありません。
2011年のコスモスも咲く時期を間違わずに
いてくれたのですね。
トマさんは病を乗り越えられ、
適切な時期に白内障の手当をされ、
全て神のはからいを素直に受けて進んで
おられるとわかりました。だから今があります。
当時も不安や悩みはあったでしょう。
それでも関わりやおこないをもって尽くして
おられるのは、修道士としても筋の通った
生き方と思います。
騎士園の学校の思い出は、どのような場面を
うかがっても、心に言いようのないものが
満ちてきます。きっと愛とか、慈しみとか
いうものなのだろうと思いますが、
表現し尽くせない深いものです。
その表現しつくせないものが、建物の壁から
床からしみ出してあふれ出ているように感じます。
椿原の子供達は、その愛や慈しみをもって
社会に出て、それぞれの場で温かさを届けて
くれていると信じます。