★トマは、生後、洗礼名が、ガブリエル。乙女マリアのもとに神の使いとして「お告げ」を果たした。少年トマは、この霊名が好きだった。親しさを覚えた。しかし修道士の着衣のとき、頂いた名が「トマス小崎」。小崎登明となった。
★朝食のとき、3大天使の話が出た。大野神父さん。「五島の信者には、『ミカエル』の霊名が多いね」★日本に初めてカトリックを伝えたのは、聖ザビエル。鹿児島に上陸し、島津の殿から布教を許されたのが、9月29日、大天使聖ミカエルの祝日だった。そこで聖ザビエルは、日本を大天使聖ミカエルに捧げた。聖ザビエルの宣教は、鹿児島から平戸へ。現在、平戸天主堂・内部の正面・祭壇の上には、美しい大天使聖ミカエルのご像がある。度々、巡礼して、聖ミカエル像を仰ぐのが喜びだった。もう1度、あのご像を見てみたいと思う。
★ミカエルで、トマが思い出すのが、ミカエル神父さん。「知っている?」。大野神父さん「知らない」。瀧神父さんは、知っている。彼は、音楽好きで、愛嬌のある、愉快な小神学生(中学)だった。上級生のトマは、よく、からかった。それでも、愛嬌を振りまき、まとわり付いてくる。「彼の中に、何か、人を引き付ける、可愛がられる雰囲気を持っていたんだね」。ローマに留学している。
★ミカエルさんは、留学中に、紹介されて、西ドイツ(当時)のある村の神父さんと、その教会の若い女性130人余りの信徒たちの支援を受けていた。ミカエル神父さんから聞いた話によると、金と銀を採掘する村で、4年間で、50万円ほどの寄付金を受けた。有り難い話じゃないですか。司祭叙階のときは、村の神父さんが代表でローマまで飛んで、祝ってくれた、とも言う。
★日本へ帰るとき、ミカエル神父さんは、西ドイツの村と教会を訪ねて、130人の若い女性の皆さんに感謝し、大いに歓迎されたと自慢した。超・有名になったミカエルさん。うらやましいよ。彼が持つ明るい雰囲気が、未来を開いたんだね。彼、本人の話を聞きながら、トマは心の中で(からかって、ゴメンな)と謝ったよ。愛されるのは、ほんに、うるわしいよね。その村の神父さんが又、感心だね。ミカエル神父を、車に乗せて、アルプスを超えて、スイス、フランスへ。2週間かけて、日本行の汽船が出るマルセイユ港まで送ってくれたそうよ。親切な村の神父さんは、別れに、こう言った。「64年のオリンピックには必ず日本へ行くからな」
★23歳で、司祭になったミカエルさん。あの親切なドイツ人神父さんが、オリンピックに来たのか?来なかったのか?結末は、トマに、覚えはない。67年、ミカエル神父は逝った。9月1日が命日だった。34歳。若かったな。50年以上経っても、ミカエル少年、神父の「あの声」「あの愛嬌」忘れない。人生って、ふしぎやなァ、思います。特に、老人になってくると、ね。逝った者の記憶は、今に、つながっている。
かえすがえすも、トマさんにはガブリエルの
返信削除お名前がぴったりです。少年トマさんが、
与えられた霊名を好ましく思っていたのも
理解できるように思います。
少年トマさんとガブリエルは既に繋がっていて、
今も続く「告げる」「伝える」仕事に表れています。
(コメントが反映しにくいようですので、
一度ここまでで送ってみます)
ミカエル神父さんは、天使だったのですね。
返信削除そして、小神学生の頃の天使は、やはり
天使のガブリエル上級生に引かれ、
離れなかったのでしょう。
慈しみ合い、睦み合う二人の天使の姿を、
映画を観るように、2020年の今も感じ取れます。
聖書にあるように、兄弟が共にある姿として。
全ては「愛されるのは、ほんにうるわしいよね」
とおっしゃる表現に集約されていると思いました。
さらに、「うるわしい」という感動の実感を、
トマさんがミカエル神父さんを通して
教えてくださっている尊い記憶に感謝します。
ミカエル神父さんのことは、もしかすると、
ドイツ出身のドミニコ・バウア神父さんも
ご存知かもしれませんですね。日本の
カトリック教会には、宝のような生き字引が
長崎はもとより、北にも南にも存在されるように
思います。
大事すぎて、心が締め付けらる思いです。