贈り物の箱が、届いた。
あけて、びっくり、「出かッ」。大きなナシ。
鳥取の名梨「二十世紀」
「こんなに、大きかったケ」
二十一世紀になったから、ナシも、デカくなったの感じ。
長年、親交のあるご夫妻の、贈り物だった。
聖コルベ館時代、休暇は鳥取で、お世話になった。
鳥取といえば「砂丘」。砂の山にも、親しんだ。ラクダにも、乗った。乗り心地は、ゴツ、ゴツして、ラクじゃ、なかった。
鳥取といえば、思い出す。修道士たちだけの「修道院」があった。ベルギー人の修道士が、2人。日本人の修道士が、1人。あの人たちは、お元気だろうか。ベルギー人の修道士は、日曜日、教会で、顔を輝かせながら、オルガンを弾いていた。
★奥さんの案内で、修道士たちの家を訪ねた。自分も、修道士。気が合うじゃないですか。「エライなァ」と、イキが、もれた。彼らの家の廊下で見つけた。修道会の紋章があり、ラテン語の文字。
DATE ET DABITUR VOBIS 『与えよ、さすれば、汝ら、与えられん』
このラテン語に、ギョ、ギョ、としたね。何を、与えるか。何が、返ってくるか。人生で、度々経験するフシギな『こだま』だろう。
★昨夜、奥さんに電話した。デカいナシのお礼を述べて、「コロナは、どうですか?」「少ないのよ」。新聞で時々感染症の数値を見るが、確かに鳥取県は少ない。新幹線が来ていないから、らしい。「修道士さんたちは、お元気?」「元気にしています。ベルギー人の1人は、トマさんと同じ位の歳じゃないかね。休暇でも、帰国できないそうよ」。老いゆく修道士さんが心配になる。
★日々の出来事の中から、『つまみ』とって、『つなぎ』合わせて、1つの流れをつくる。それが可能になれば、おもしろい。トマの文章なんて、ダ文だね。でも、文の本心には、それらを持ちたい気持ちは、ある。『きずな』かな。『つなぎ』かな。それを意識して、書いていきたい。
★今日の、脇ハラの『付け替え』。「だいぶ、よくなったよ」と看護師さん。
ラクダの背は、らくではないのですね。
返信削除ふふふ。
ラクダもあの姿で生まれて、島根の砂丘で
いろいろな人を乗せるはたらきを得たことを
どう感じて暮らしていたのでしょう。
それぞれに抱えるものを思います。
トマさんとのふれあいは、ラクダにとっても
十分に楽しい時であったと信じます。
偶然ですが、ちょうど津和野教会の画像を
見たところでした。最近は島根県のアンテナ
ショップに出かけて、おいしい農産物を
得るばかりで、出向いたことのない場所への
想いが足りていなかったことを知らされました。
長崎の次に訪問したい所となりました。
がぶらってぃは、ベルギー人のスクート会
・ダニエル神父さんと少しの繋がりがあります。
ダニエル神父さんのご実家での出会いでした。
ご実家のお母さんは、日本で宣教を続ける
ダニエル神父さんのために、生涯費用の世話をし、
兄弟姉妹とその連れ合いも応援をしていました。
DATEのおこないですね。
そして、VOBIS。
複数形なのですね。
孤独ではありません。
トマさんの日記がダ文であれば、
がぶらってぃのコメントは電信以下ですが、
それでも繋がりを確かめられる大事な糸です。
お許しください。