雨が降ると、雨水がたまるのです。
側溝を設け、コンクリの表面も、し直します。
大きなトラックが、ジャリを積んで、侵入しました。
経費も、相当にかかるでしょう。
ホームを便利にするための努力です。
快適になるのは、喜びです。
★今朝も、朝食後、体操が終わって、シャワーに入りました。
明日、皮膚科へ行き、抜糸をします。これで一応、一つの治療は片がつくでしょう。
★シャワーの後で、看護師さんに、付け替えをしてもらった。写真も撮ったが、載せるのは止めました。
★今度の「出来物」について考えると、ちょうど、左手が届く場所に、それが、あったという「幸い」です。あらためて、良かったな、と思いました。あと2センチ、背中に寄っていたら、わからずに放置したでしょう。どうして、そこ、だったのか、わかりません。
★それで、思うんです。これまで、この歳まで、生かされて来たことは、そういう連続じゃ、なかったか。なぜか、人知じゃ、わからない。
★生かされたのは、なにか、大きな、温かい、見守り。言葉で、表現するなら、つまりは「愛」。愛じゃ、なかったかと、感じるのです。「愛があるから、生かされた。生きている事は、愛です」。そう、言えないでしょうか。この歳になって、それが、少し、わかった気がするのです。「だから、生きること、イノチは大切です」
(コメントが消えてしまったかもしれません。
返信削除二重になりましたら申し訳ありません)
改装により、より一層大事にホームを護って
いけるようになりますね。適切な時期に
適当な手を入れることは、ホームという
建物とそこに存る人々、広くは社会を護る
大切なつとめですね。
人間の体にも同様のことが言えると
理解しました。
今回の手術で、トマさんはまたまた
体を正しく労られました。
癒やされたトマさんの抜糸が、ご負担なく
済みますようにお祈りします。
ホームに入所された当初、トマさんが
修道院の仕事を離れた苦しみに溺れそうに
なっておられたことと、その後に日記の公開
というとりくみをもって、「こころの時代」を
含めた広い社会に繋がり、多くの方々の助けに
なっておられる現在とを時の線表の中で受け止め、
がぶらってぃは「つとめ と はたらき」について
考え始めています。
全ての仕事は神のものです。が、定められ
与えられた「つとめ」を、与わった能力に従って
受け進む先に、自発的な工夫をもって開拓した
「はたらき」は、希望の営みであり、おっしゃる
「愛」の業の一つの形と考えながらおります。
トマさんが示されてきた「赦しへのこだわり」
と共に、がぶらってぃには新しい課題が
開かれました。
一歩一歩「愛」の営みに応えるはたらきを
行うよう努めます。
今日もジンクーエン。