8月に入り、長崎・原爆、母の命日が近づいた。安息のため、ミサをお願いした。
今朝、ミサの始めに、「トマ修道士さんのお願いで、トマ・松吉、クララ・ワサさんのため、ミサが捧げられます」と知らせがあった。ミサの中で、名前が読み上げられる。聖体拝領の後、席に戻ると、アタマを垂れて、目を閉じて、祈った。
「父が居て、母が居て、自分が生まれた。92年になる。産んでくれて、ありがとう」。感謝の言葉しか出ない。
父は、北朝鮮で、7歳のとき病死。現地の、お椀を伏した形の土となる。それから10年。17歳のとき、母が原爆で行方不明となり、灰となる。
我が父も、母も、幸せだったろうか。父の墓参りも行けぬ。最近は、外海の母の墓にも、足が弱って行けなくなった。(いま、パソコンのキイーを打ちながら、手で、目を被って、しばらく動作を停める)
父は、外海の人。母は、浦上の女性。年が11歳も違っていた。なぜ、2人が一緒になったのか、詳しい経緯(いきさつ)は分からない。
父を知る者は、誰もいない。母を知る者は、まだ、2人いる。「ニンゲンって、さびしい」と思いますよ。墓地に写真が眠る父も、母も、一人っ子の息子が、修道士の道を歩んだなんて、全く知らないでしょう。「ニンゲンって、やっぱり、孤独や」と思いますよ。今朝、ミサで祈れて、思いを果たせて、幸せでした。
「祈れて、感謝して、ああ、今日も、一日、よかったよ」と思えば、人生、それで幸せや、と思います。「北朝鮮の、墓参りに、1度でいいから、行きたかったな」。それが悔やまれます。
★「親が、子供に与えてやれる財産は、宗教だ。教育じゃない。真の宗教を与えてやった子供は、幸せになる。わたしが、そうだった。親は、わたしに、教育を与えなかった。宗教を与えた。今も、かんしゃ。教育は、子供が自分で、つかみ取るものだ、と考える」
まず、タイトルの「一人息子は修道士だよ」の
返信削除言葉に打たれました。ご両親にとってどれだけの
救いになっているでしょうか。
犠牲と恵みの崇高さに、感動いたします。
トマさんは、ご両親の宝物であるのと同時に、
神様の宝物であるとはっきりわかります。
トマさんの繋がりの中に多くの方々が救われて、
立ち上がり、神のはらたきをもって、
先々の循環に活きています。
こころの時代の放送は、ご両親にとっても、
目に見える形の恵みとなりますね。
働き盛りに現地で活躍され、結果的に遠地で
肉体を休めることになったトマ・松吉お父さんの
魂は、外海に戻られて、静かに光る海から半島を
眺めておられると信じます。
がぶらってぃが長崎におりましたら、代わりに
お墓へ上がって、少しのお手伝いもできるものをと
悔しい思いも持ちます。が、ここは、距離に壁を
造らせない魂の力が試されていると考えました。
トマさんとトマ・松吉お父さん、
クララ・ワサお母さんを思い、
特別に感謝して祈ります。
”信仰が子に命を与え、救う”
”信仰により、子は癒され、育てられる”
誠におっしゃるとおりです。
生きる基盤に信仰があることで、果ての幸せに
本当の意味がもたらされると思います。
形だけの教育、テニヲハの類で得られる幸せは、
空しいものでしょう。
これは、デジタルな時代になって、いよいよ明らかに
なってきている部分でもあると思っています。
本来教育の芯にあるべき信仰、信念のようなものは、
敗戦からの流れによって輝きを隠されてきました。
うまく表現できませんが、信仰に結ばれる
生涯の一大事を体感することで、日本人は
真に再生できると思います。
私のおこないは、神のなさること。
できる関わりを多く持ちたいと思います。
信仰の強い結びつきを常に発信くださる
トマさんに、今日もジンクーエン。