テレビで見た聖母の騎士の「ルルドのマリアさま」
こんなに美しいご像、お顔だちだとは、思いませんでした。
ホントに、ホントに、きれかった。美しかった。
普段は、遠くから見上げるので、気が付かない。
NHKのカメラ・レンズが、いいのかな。
初めて知った、マリアさまのお顔です。
コルベ神父が愛していた「けがれなき聖マリアさま」
今日は、教会では「天の元后聖マリア」の記念日です。
聖母の騎士の「ルルド」で祈ったことを思い出しました。
幸せだったな、あの日。
からだ、じゅうに、浸み込んで行ったな、お水。
マリアさまには、安らぎがある。十字架、殉教は、血と汗です。潜伏キリシタン達も、マリアに秘かに祈った。
そこには、母なる、優しい、慰め、眼差しが、ある。
★「人間は、ね。誰でも、ね。外見では、見ては分からない、痕跡をもっている。誰でも、その痕跡を背負いながら、生きている。どんな人でも、その痕跡があると思う。キズだよ。それを受け入れて、生き、耐えて行くしか、ない。私は、思うね。自分の人生を振り返って、ウン、簡単じゃ、ない、人間は」。この言葉から、私の番組のテレビは始まった。再放送がなされて、1週間になる。
★17歳で、聖母の騎士に入ったとき「真実なものを、求めたい、気持ちがあった。真なるもの、ゆるぎないもの、(原爆で、人間が、営々として、築いた物が、すべて破壊され、メチャ、メチャになった、その現実を見たからね)、なんか、こう、人間の底辺にあるもの、そういうものが分かるんじゃ、ないか。おぼろげながら、あったんだね」
★だが、結核・病気になって、「残る腎臓も、侵されて、アウト。私が、こんなに、がんばるのに、(神は)なぜ、私の道を、はばむのか、という気持ちは、あった」
★当時の、ポーランド人院長は、私の病状を見て、先の見込みは、ないと判断し、「出て行きなさい」と言う。助けてくれたのが、ミロハナ神父。同じポーランド人。ミロハナ神父は「苦しみは、100%受け入れなさい」という。「私は、その頃、7割ぐらいは、シンボウしてね。3割ぐらいは、グチを、こぼしても、いいじゃ、ないか」
★そんな私は、よくぞ、生きた。テレビは、よくぞ、私の人生を、まとめてくれた。安堵(ど)したのか、もう、腰骨のチカラが抜けたよ。
本当にお美しいマリア様です
返信削除番組で初めてお近くにお顔を拝見し心が癒されました。
番組を拝見した私達にとってもお恵みの一時間でした。
私は日記を励みに歩んでおります。
トマさん
これからも宜しくお願い致します。
感謝と祈りのうちに
聖母の騎士のルルドに身を置く体験が
返信削除できても、自身の体をマリアさまに
ここまで寄せることはそうそうできません。
トマさんが「こころの時代」に出てくださった
おかげで、かなったことでした。
安らぎと癒やしを得られ、先々で分かち合えます。
トマさん、本当に本当にありがとうございます。
改めまして「こころの時代」上のトマさんは、
ステント入れ替え前のお身体とは思えない輝きに
満ちておられました。確かな発声で聞こえてくる
力強い言葉の一つ一つには、安定感がありました。
影像のトマさんは、イノチの道筋と意味を
発せられる言葉に乗せてしっかり届けて
くださいました。また日記で出会うのとは違う
トマさんのお姿に、何かがほどけたような
活力を得ました。
腰骨の力が抜けたような気持ちに
なられたのは、ほっとされたためでしょう。
少しばかりの社会的緊張から放たれて、
心がほっとして、腰骨の力が抜けたような
感覚を覚えられたのだろうと思います。
けれど、祈りへの張りはトマさんの中で
緩むことはないはずです。
その解放を楽しまれつつ、
どうか私達のために、トマさんの祈りを
日記として表出し、共有ください。
がぶらってぃは、全てをくみ取って感じ尽くして、
学びと救いにしたいのです。