2020年7月8日水曜日

旅した当時、チェコの通貨は、コルナ(冠)=コロナでした

2003年9月、チェコのプラハに旅した。旧市街は、トルコの商人が、この広場で商いをした。広場には、土産物店、屋外レストラン、建物の壁に、大きな中世式の時計があった。当時の考えでは、この広場は、アジア(トルコ)とヨーロッパの境目と言われていた。旧市街のすぐ近くに、私たちの修道会の修道院があった。
★1人旅だったので、プラハに住む日本人の会社員に案内を頼んだ。修道会・修道院の素晴らしさに驚嘆する。みとれた。三層の壁、豪華絢爛の本祭壇。天井に、聖母マリアのご生涯の壁画があった。神父さんが出てきたが、「忙しい」と言って、加勢に来ていたポーランド人神学生が案内した。神学生は言った。「昔、修道会は、チェコからポーランドへ伸びた。今はポーランドからチェコに来ている」。教会は、聖ヤコブ使徒に捧げられて、13世紀に建てられた。しかし火災で焼失する。今の教会は18世紀に再建された。火事で、焼け残ったのは、聖アントニオ、ピエタ、茨のキリストと説明した。
★「忙しい」と、姿を隠した神父さんが、後になって姿を現わした。神父さんが言った。「青年の頃、ゼノ修道士が、貧しい人を助ける話を読んで感激した。共産時代、宗教を抜きにして、ゼノさんの福祉の心はチェコにも伝えられた。私は、ゼノ修道士の心に感動して、この修道会に入った。68歳になる」。こんな場所で、ゼノの話を聞こうとは思わなかった。さすが、ゼノさんだ。
★トマが、「ニッポン、長崎、コルベ、ゼノ」と前置きして、「ゼノさんと生活を共にした。私は75歳」と言うと、神父さんは、ハゲ頭を両手で覆って、「おお、兄貴だ、尊敬する、ゼノさんと生活したのか、うらやましい」と、しっかりと握手を求めた。
★更に、神父の「おまけ」がある。「これはジョークだよ。アメリカ人は、日本人にタバコの箱を渡した。箱には何も入っていなかった。日本人は、アメリカ人にオルゴールの機械を入れて返した。日本人は、アメリカ人より素晴らしい技術を持っている。アメリカ人はカラの箱だ。日本人には立派な中身がある。私は日本人が好きだ。尊敬するよ」と、また握手を求めるのだった。なぜ、アメリカ人を低く評するのか、わからない。このチェコの出会いは、トマの記憶に残った。
★なぜ、今日は、このチェコの話を書いたのか。実は、当時は、チェコの通貨は「コルナ・冠・コロナ」だった。旅のノートに記してある。バス・電車賃・90分で、12コルナ。タクシー初乗り、22コルナ。ホテルは、650コルナと表記。公務員、学校教師の給料は、月に、1万5千コルナだと、日本人の会社員が教えてくれた。彼の給料は、いくら?確かに、高給だった。

1 件のコメント:

  1. がぶらってぃ2020年7月9日 17:25

    コロナは、2020年の今この瞬間、
    世界から恐れられ、疎まれ、嫌われ、
    避けようとされていますが、当時のチェコでは、
    大事な通貨の価値だったのですね。

    コルナという名称は、何も悪くありません。
    今は脚色されています。

    同様の事態が、どこでも起こりうることを
    忘れないように意識しておきたいと思います。

    世界に繋がるトマさんの翼は、多くの学びと
    痕跡を残して、広がっていますね。

    プラハの聖ヤコブ教会は、荘厳の極みです。
    天井のフレスコ画からは、伝えようとする
    物語の強さを感じます。物語という言葉が
    相応しくなければ、祈りの強さというのでしょうか。

    先便コメントがうまく反映されなかったようですので、
    まずはここまでお送りします。



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