2020年7月31日金曜日

トンボ、乱舞。「過去はアーメン、未来はアレルヤ」の神父さん

昼食の後、ベッドに横になる。
日記を書く。
教会の祈りを唱えて、椅子を屋外の方に向けて、ロザリオを祈る。広がる青空に、トンボが、多数、乱舞する。1羽のトンボが、「こんにちわ」と挨拶するように、パソコン横のベランダに止まった。「いのち、ふしぎ、いとしい」
★今朝はミサの始めに、司祭が「イエズス会の創立者、聖イグナチオの記念日です」と告げた。直ぐトマは思った。(イエズス会といえば、長崎・浦上の『永井学生センター』に、メキシコ人の神父さんが居たな。あの神父さんの名前、なんだったかな?)
★ずい分とお世話になった神父さんなのに、名前を思い出せない。ミサ後、老年の修道士に聞いても、首をふるだけ。朝食のとき、瀧神父さんに聞いてみた。「あの神父、知ってはいるが、名前、出て来ない」。こちらも同じ。
★ところが昼前に、瀧神父さんから電話があった。「アギラール神父だよ」。ビビッと来た「ああ、そうだった」
★もう、十年程前に、アギラール神父さんから、個人的に5日間の黙想を受けた事がある。1日目にアギラール神父さんが言った言葉。「小崎さん、あなたは、これまで沢山の人のレポートを書いてきた。今度は、神さまが小崎さんをレポートします。どう考えますか」。これには参った。難しい問いだったな。2日目に、神父さんがポロリと言った。「カンシャだね」。つまり、感謝しないことは愛に応えない。神の愛のもとで、総ての事が行なわれている。これが神さまのミステリー。
★3日目、神父さんが言ったのは、「愛は、幼児の頃のスキンシップ、これが大切です。肌で感じて、愛が伝わり、愛がわかる」
★4日目が恵みの日だった。朝、信徒も祈って、別のお年寄り司祭のミサがある。この日の福音が、ヨハネ21章の復活したイエスが湖畔で弟子たちに現われた場面であった。それについて司祭が短いコメントをしたが、それを聞いて、トマは、ひらめいた。
★「我に、従いなさい。でも、色々あった。否みもしたが、復活後のイエスからペトロは『愛するか?』と問われる。ペトロは『愛します』とは断言しない。『あなたが、御存じです』。この言葉に重みがある。ペトロは、三度も問われて『悲しく』なる。この悲しみは、過去に否んだ、これではない。愛を貫けるか、謙遜の心なんです。
★早速、アギラール神父さんに、「宿題の『神さまがレポートする』の答えが見つかった」と答えた。『あなたが、何もかも、御存じです』
★最後の5日目に、アギラール神父さんは、いい言葉を残してくれた。「過去は、アーメン。未来は、アレルヤ」「え?何のこと?」。アーメンは「その通りです。そう成りますように」。アレルヤは「神をほめたたえよ」の意味。神父さんは言う。「過去は、み旨によって起こったことです。今から、何も、修正は出来ない。それは神の御前にある。神の憐みにかけよう。これからはアレルヤだよ」。アレルヤ。アレルヤ。これ人生。
★ホセ・アギラール神父さんは、トマと同じ歳だと言った。

2 件のコメント:

  1. マリア・フランチェスカ2020年7月31日 21:50

    ホセ・アギラール神父様の言葉心に強く響きました。
    アーメン、アレルヤ!

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  2. がぶらってぃ2020年7月31日 22:26

    神からの愛の問いを受けて、進む。

    この素直な繰り返しによって、
    これまでが過去となり、今は過去の
    積み重ね一番先頭に立って、
    未来は明るい、神のなさることは
    私を幸せにすることと賛美できます。

    「受ける」尊さを、その美しい責任を
    かみしめています。

    自分の十字架を背負って進む道が
    必ず照らされていると、しっかり
    感じ取ることができました。

    トマさん、まだお疲れがありましょうに、
    導きの発信を今日もありがとうございます。

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