2020年6月24日水曜日

高原修道士さんの修道士名のお祝いの日。お世話になっています

人は、誰かのチカラで支えられながら、前へ進んでいく。助けがなければ、生きられない。弱い存在だ。ご縁が出来るのが、幸いです。
今日は、高原修道士さんのお祝い日です。トマがいつもお世話になっている高原さん。ご縁を切り離さない援助者です。ホームで暮らすようになったのも、高原さんのおかげかな。そう言える。
★教会では、「洗礼者聖ヨハネの誕生の祭日」を祝います。教会の祈りや、ミサで祈りました。「洗礼者聖ヨハネ」が、高原修道士さんの修道士名なのです。高原さん、おめでとう。いつも、がんばってくれて、ありがとう。感謝しています。
★高原さんのキゲンを損なったら大変だよ。どれほど、お世話、足になっているか。トマは、ホームに入って6年になる。その間、毎月、長崎のクリニックへ診察に行く。行きたくない日もあるでしょう。それでも、連れて行く。
★また、年に何度か、諫早総合病院の診察と、入院がある。その際も、車の運転や、介護で助けてもらっている。高原さんのおかげですよ。高原さんが居なければ、誰が連れて行きますか。外出に際しては、いつもトマの足になって、助けてくれるのは、彼です。彼が頼りです。
★トマは、感謝の気持ちで、イッパイです。高原さんのため祈りました。高原さんにも悩みはある。いつも車の中で聞いております。人には、誰だって、悩みは、あるさ。
★今朝、朝食前に、ホームに高原さんが姿を見せた。ニコ、ニコしていた。食堂が開くのを待つ女性たちに、「おめでとう」と言われて、高原さんは嬉しそう。女性たちに、笑顔で握手していた。
★老い行くトマです。これからも「助けて、ね」「頼みまーァす」

3 件のコメント:

  1. がぶらってぃ2020年6月25日 18:22

    高原修道士さん、洗礼者聖ヨハネの記念をお祝い申しあげます。

    高原修道士さんのように、神に仕えながら介護の手をもって進まれるのは、どこか時代の先端でもあり普遍的でもあり、実にカトリック的と思います。神との出会いの後に、介護との出会いがあったのでしょうか。お取り計らいに愛を感じます。

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  2. 高原さんみたいに、介護の資格を持っている修道士は、めったにいませんね。修道会にとっても、貴重な人材だと思います。

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  3. がぶらってぃ2020年6月25日 22:19

    コメントがうまく反映されず、2便に分けました。すみません。

    高原修道士さんとトマさんの外出では、車の中での語らいや笑いに、修道院の暮らしの延長を見ます。

    印象的なエピソードは、信号待ちの隣に、車内での話題となっていた事柄がそのまま運送会社の名称として荷台に書かれていたトラックが止まったお話しです。少しばかりクシュクシュッと落としどころを見失いそうになった語いにも、どこかユーモラスな神の導きがありました。神の存在を確かに認められるとわかります。

    高原さん、トマさん、兄弟としての二人のお姿は、がぶらってぃの暮らしの導きになります。ありがとうございます。

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