5月、最後の日になった。日曜日です。湯江教会の祭壇には、ホームの庭に咲いた美しい「ゆり」が飾られた。
★普段ならば、今日は、長崎・聖母の騎士で、「ルルド祭」が行なわれるでしょう。毎年、ホームからも参加していました。コロナの関係で中止、残念です。
★5月は、聖母月で、特に聖母マリアを「母」として祈り、賛美する月でした。その聖母月も終わりになる。
★「マリアさま」の言葉の響きには、優しさ、温かさがある。潜伏キリシタン達も、秘かにマリアさまだけには「心のつながり」を持ちました。マリアさまの御助け、御導きを感じる者は、幸せです。
★聖母の騎士の「ルルド祭」は、あの場所に、コルベ神父が開設してから、延々と、つづいています。トマにも、ルルドには、いろんな思い出がある。原爆前、病気が癒えて、最初に、母親が連れて来たのが、ルルドの聖母の所だった。ここは、以前から、都市の雑音や、汚染を離れて、静かで、清らかで、心休まる場所になっています。
★近くの思い出は、103歳で、神に召されたセルギウス修道士が、ルルドの担当を果たして、清掃をしたり、巡礼者に声をかけたり、出会いを楽しんでいた事です。いまは、白浜さんが、その務めを引き継いでいる。
★戦後、間もなくの小神学生(中・高)の頃は、神学生が120人ほども居たので、聖母月には、ポーランド習慣の「聖母賛美のアカデミア」がルルドで行なわれて、聖母を讃える論文や、歌で盛り上がりました。
★永井隆・博士が、原爆で負傷して、意識を失ったとき、「みどり夫人」のお母さんが、聖母の騎士のルルドのお水を飲ませて、生き返った奇跡も起こった。永井先生自身が書いた記録がある。コルベ神父のルルドのお水は、沢山のお恵みをもたらした。
★ルルドの広場の下に、コンクリートのトイレがあるが、1人の男性が、トイレに1ケ月余りも引きこもり、修道士たちをおどろかせた話題もある。
★コルベ神父は、6年間、長崎に滞在し、その後、ポーランドへ帰国し、ニエポカラヌフ修道院の院長になる。やがて、ナチスとの大戦が始まり、逮捕される寸前、主だった修道者たちを集めて、最後の晩餐を開いた。そのとき、「自分は、マリアさまから、天国を約束されれた」と、秘密を打ち明けた。「どの場所で?」と聞いたが、コルベ神父は答えなかった。長崎のポーランド人のある修道士は、「おそらく、このルルドでは、ないか」と信じている。コルベ神父は、毎日、ルルドにお参りしていた。喜びであり、最も好ましい場所であった。
★コルベ神父の時代(戦争前)のルルドは、今のマリア像ではなく、小さなマリア像が置かれていた(場所は同じ)。誰かは知らぬが、度々、石で、マリア像が粉砕される事件が起こった。コルベ神父は非常に悲しんだ。割られても、また、マリア像を置いた。ゼノ修道士が、たまりかねて、町内会長を訪ねて、「人は、誰でも、宗教を大事にする。わたしも、ホトケさま、大事にする。あなた方も、マリアさま、大事にします」と説得すると、マリア像が安泰となった逸話もある。
★「生は1度、死も1度です。ですから聖母マリアの御心に叶った生死でありたいものです」「臨終の時に、誰でもが、何が有益だったかということを知ります。しかし残念な事には、健康である時いは、それらの事を考えないことです」(コルベ神父の言葉)
ルルド祭に参列しトマさん瀧神父様始め皆様にお会い出来る日を今から楽しみにしております。
返信削除マリア様の百合が香るようです。
返信削除トマさん、ここにもルルドを感じさせてくれて、
ジンクーエン。
昨晩(日本時間5月31日 0:30~)は、
バチカンのルルドで行われたロザリオの祈りを
インターネットで共有しておりました。
イタリア語の天使祝詞を浴びながら、信仰の繋がりを体感しました。
ロザリオに出会った頃の信仰と今の信仰との重なりを、縫い代と共に
理解しました。私は、どうあれ現在の私になったのでしょう。
少し自分を赦せ、より深い理解への扉は開かれました。
ルルドを護る働きは、尊い行いですね。
セルギウス修道士さんから引き継がれている
白浜さんのために、特にご安全とご健康をお祈りします。
思えば、ルルドも人間も、傷んだ時もおおむね整って見える時も、
誰かや何かの支えや働きによって成り立っています。
人間は病んだり傷んだりして他者の助けを得ると、
その時ばかり他者による私の為の行いを自覚しますが、
だいたいが自立と称して暮らしていた頃のことを
忘れています。若く実動としてアクティブにしていた時にも、
多くの方々の手と才能を借りて、助けられてきたのです。
今回の感染症下では、最前線で闘っている医療者へ向けて
感謝を表する動きがあちらこちらで見られます。それ自体は、
多くの人々の中にある優しさや感謝を表出する大変良い機会
だと思います。
私が少しの違和感を持ちますのは、こんな時にも平時にも、
国の守りや安全を担い、犠牲を引き受け活動し準備している
自衛隊や警察、消防、その他公的な職業の方々で
特に名誉を軽んじられている方々に、同じような感謝を持ち、
表出していましたか?というひっかかりがあるからです。
大事なことを責任を持って受け止め直すチャンスであるのに、
「感謝を伝えましょう」キャンペーンのごとく単純に
盛りあがるのは、健康で活動的な時に背景にある他者の働きを
忘れて傲慢に暮らすのと繋がってしまうように思えてなりません。
聖母の騎士のルルドのお水で、私も救われた経験を持ちます。
コルベ館訪問の後に出向いた全く予期せぬ場所でのことでした。
あれも神様との対話、出会いでした。