「母の日」にちなんで、コルベ神父のお母さんを偲ぶ。「マリアンナ・ドンブロフスカ」。ポーランドへ行って、お墓参りをした。お母さんは、結婚前は、シスターになりたいと思った時期もあったらしい。コルベ神学生がローマに留学すると、主人ユリウスとは別行動で、お母さんは、クラクフの観想修道女会の奉仕者として生活を始めた。翌年、第一次世界大戦が始まり、ユリウスは戦死する。お母さんの奉仕者の生活は、シスターの修道女会で、33年間つづいた。ローマで司祭に叙階されたコルベ神父は、クラクフの修道院へ着任した。息子が近くに居るのは、お母さんにとって喜びだった。
★トマが、このシスターの修道女会を訪ねたのは、お母さんが亡くなって37年が経過していた。ここの修道女院は、「観想」の最も厳しい奉献生活で、百数十人のシスターが居た。お母さんの仕事は、渉外係で、買い物、市役所、郵便局、医薬品、葬式の面倒など、外部的な務めを果たしていた。
★お母さんを知るシスター数人が、「ほほえみ」「優しさ」「聖母に対する特別に熱心な信心」など語っていた。住んでいた部屋も見せてもらった。お母さんは、ここで、コルベ神父の日本への宣教も、アウシュヴィッツの殉教も知る事になる。
★ある日、町に用件で出かけたお母さんは、帰り道で、歩きながら急に倒れた。後ろから2人の看護師が歩いていた。お母さんを介護して、階段の所に休ませた。
★お母さんは、手をあげて、大声で叫んだ。「息子よ」。最後の言葉だった。その場で逝かれた。1946年、享年76。シスターに案内されて、お母さんのお墓参りに行った。「ニッポンから来ました、お母さん」
★祈りのうちに、原爆で死んだ母親のことを思い出していた。
★長崎の母は、『ほほえみ』の『まなざし』で死んだ。コルベ神父のお母さんも、シスターたちに『ほほえみ』の『やさしさ』を残して息子の居場所(天)へ帰った。
★シスターは、トマに、ささやいた。「東洋人で、コルベ夫人のお墓をお参りして下さる方は、あなたが初めてです」
あるポーランド人の神父さんが、
返信削除「今日も神に出会った。“メリークリスマス”と応え続けていたい」と、
話していたことを思い出しました。
マリアさまは、ワサお母さまにも生きて、
マリアンナ・ドンブロフスカ夫人にも生きていましたね。
今の私の身近にも、トマさんの近くにも、おられるでしょう。
ポーランドには、旧き佳きカトリック性が暮らしの中に生きていて、
気候風土は違いますが、長崎と似ているところがあると思います。
「ニッポンから来ました。お母さん」と墓前で語りかけられ、祈られたご様子を思い、
心が涙のようなもので満ちるのを感じます。トマさんの旅は、多くを慰め、多くの発見を
もたらしたと思います。
今日もありがとうございます。