2020年4月7日火曜日

記憶から消えぬ「幾市叔父さん」。偶然に、祈りの日となった

「虫の知らせ」か、「気のセイ」か。きょう、午前中に、ホームに来てから撮った写真を、何気なく見ていたんです。外海、黒崎の「家族の墓」が出てきた。毎年、お参りに行くが、今年は、行けない。足腰が弱ってね。
★ここに父、母が眠っている。父は北朝鮮で逝ったし、母は原爆で行方不明だから、両方とも、遺骨はなく、写真だけが入っている。
★墓の側面に、死者の名前が刻まれている。左側、トマは、トマの父。クララは、母。そして、ギックとしたのは、その隣、パウロです。左の端になる。幾市、五十三才、と書かれている。逝去の日が、一九四四年四月七日、だった。きょうが、命日じゃないですか。こんな事って、あるんだな。偶然にも、写真を手にして、パラ、パラ、めくっていると、幾市叔父さんの命日に当たった。幾市叔父さんは、父の弟。
★父や、弟・幾市叔父さんが生まれ育った外海・黒崎の集落です。墓地から、海の方を眺めた風景です。北朝鮮で、幾市叔父さんと一緒でした。写真が無いのが残念です。
★優しい、無口な叔父さんでした。家業の「精肉店」で、熱心に肉をさばく叔父さんでした。奥さんが居た。奥さんから、聖書の絵本から、要理を教えられた。
★兄弟は、父を入れて4人でしたが、兄弟で、一番、アタマのヨカ男。佐世保の海兵団に入隊した。黒崎から「海軍」に入ったのは、幾市叔父さんが最初だった。陸軍は多いが、海軍さんは優秀な人材がえらばれていた。第一次大戦に参戦して、従軍徽章と、勲七等瑞宝章を貰っている。時々、立派な箱入りの勲章を見せて貰った。幾市叔父さんも、父と一緒に、北朝鮮の墓地に眠ている。黒崎の墓には、なにもない。
★生まれ故郷を離れて、遠い地で逝くのは、さびしいね。もう、七十何年になる。幾市叔父さんの事を想っているのは、トマ、1人になった。戦争で、死なななかったが、北朝鮮は遠い国だ。才能があったのに、叔父さんの人生は、あれで良かったのか。ひっそりと、隠れた場所で、咲く花も、ある。きょうは、幾市叔父さんのため、祈る日となった。

1 件のコメント:

  1. マリア・フランチェスカ2020年4月8日 18:57

    幾市叔父様のためにお祈りさせて頂きます。

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