2019年8月31日土曜日

1年の3分の2は終わった。生きていれば良い事、出番もある

きのうは、マチア修道士の命日でした。コメントで、匿名さん、フランチェスカさんから、思い出しました。いま、写真展を開いているのに、マチアさんの命日を日記に書かないなんて、マチアさん、ごめんね。祈ります。マチアさんは、食卓は私の隣でした。「コルベ神父さま、騎士、クバル。ゼノさん、騎士、クバル。いま、ワタシ、騎士、クバリマス」。マチアさんの名言です。写真は、写真展に展示されている塩沢美樹さん作・マチアさん。修道院で牛を飼い、パンを焼いた。時代が変わると、騎士誌の配布に専念した。94歳で、修道院で神に召された。
★8月も、今日で終わります。8月は原爆の日や、母の命日もあったが、今年は恵みの月となった。なんと言っても、心に残るのは「写真展」でしょう。生きていて良かったな、思いました。ホームに居ても出番があるな、感謝しました。1人では出来ない。助けられて、支えられて、実現に至った。各社の新聞にも載せてもらった。ありがたいです。
★ホームの自室に居て、時々「電話です」と拡声器で呼び出しがある。電話に出ると全く見知らない女性から「東京からです。トマさんの声が聞きたい。元気をもらいたい」などと声がする。ありがたいが、応対するのがキツイ。トマの声は、もうカスレ声だよ。出ないよ。それでも聞いたら、元気がでる、という。長話すると、足が痛い。立っているのも苦痛だよ。どこで、どんなご縁につながっているのか、わからない。ホームに居ると「修道士」の身分を忘れる時がある。ダメだな。覚悟がたりない、な。
★きのうも、女性から電話があった。長崎市からだという。「トマさんの本を何度も読んだ。新しい本は出ていないのか。教えてほしい」「アンタ、何年、生まれ?」聞くと「昭和19年」という。「終戦は、1歳だな」。いつも終戦で判断する。「トマさんの本、愛読者だよ。新しい本を出してほしい、読みたいよ」。どこの、だれかも知れない女性が、本の名前を挙げて教える。『春いつまでも』は読んでいないらしい。「騎士社に電話で頼みなさい」「いいえ、行きますよ。行って、買って、払います」「元気でね。足腰がしっかりしている内に旅行して、おいしい食事をして、長生きしなさい」。その言葉は、自分に聞かせる慰めの心境でもあった。

2019年8月30日金曜日

神の御意志なくしては何事も起こらない、コルベ神父は信じ愛した

1971年10月、最初にアウシュヴィッツを訪ねた時、写した写真です。
★写真の説明。上から①収容所の建物。②コルベ神父が愛の殉教をとげた「第11ブロック」の建物入口。③地下室へと降りる階段。裸にされて、ここを歩いて降りた。④コルベ神父が殉教死をとげた地下室の入口。多くの巡礼者で、中には入れなかった。3回目、4回目と訪ねた時は、内部に入った。現在は入れない。
★コルベ神父は、アウシュビッツから、母親に最後の手紙を書いた。「1941年6月15日、番号16670。ライモンド・コルベ。1894年1月7日生まれ(注・8日だが、ここは7とある)」
★「私の愛するお母さん、私は汽車で5月の終わりにアウシュヴィッツの収容所に着きました。私のもとでは、総てうまくいっています。愛するお母さん、私と私の健康については何も心配しないで下さい。神さまは何処にもおられ、大きな愛をもって総てを考えて下さいます。私から手紙が来るまで、私に手紙を書かない方がよいでしょう。どれ位ここに滞在するか私にはわからないからです。心からの大きな口づけもって(全文)」
★この短い文面に、コルベ神父の思想が要約されているように思う。
★神さまは何処にもおられ、大きな愛をもって総てを計らって下さる。神への全き信頼の中に、どんなに辛くても困難があっても、幸福を見い出し得た。聖人といえども、苦しみ、悩み、悲しみは一杯あったろう。しかしどんな逆境にあっても自分を不幸と思わず、いや、みしろ自分は神において最も幸福な人間と思っている。だからコルベ神父の生き方は本物だと思う。
★その思想の根底は、神は存在し、神は総てをご欄になっておられるという信仰。神の御意志なくして何事も起こらない。例え体を傷つけられても、焼かれようとも、魂まで踏み込む訳にはいかない。人間で最も重大なのは魂である。だから安心して下さい、とその信仰で生き抜いた。
★総ては神の愛の御手の中にある。コルベ神父の基本姿勢は、自分が仕えられるのではなく、仕える奉仕者の態度であった。愛の勝利を信じるコルベ神父。神が先ず私たちを愛して下さった。愛に反するものは悪であり、だから悪に負けない人になる。彼はこれまで哲学者として、司祭として多くの人に教えてきたが、それを彼自身アウシュヴィッツでそのまま実践した。
★愛が勝利を得るのは、人間が愛の神において不滅な存在だからである。確かに人間の肉体は弱くて脆いだろう。しかし霊魂は神において永遠に生きる。コルベ神父は生涯にわたり、それを教え、愛のなかに死んだ。実に聖人とは、真の幸福を心の底から体験する人であろう。
★なぜ、この記事を書いたか、というと、東京から来た花澤美和子さんが、2年前に、娘さんと2人でポーランドを旅行した。その時、花澤さんが、アウシュヴィッツと、ニエポカラヌフ修道院の写真を送ってくれた。その写真を見ているときに、私が最初にアウシュヴィッツのことを思い出して、当時の写真を見ながら書きました。

2019年8月29日木曜日

「元日のエリザベット」さん、ご縁の始まりは、日記に書いていた

きのう、わざわざ東京からホームに会いに来てくれた花澤美和子さん、通称「元日のエリザベット」さん。聖コルベ館に居た時の、2012年正月の「日記」を開いてみた。
★記念館の資料室「聖コルベの部屋」に、サイン帖が置いてある。2006年から書き始めたサイン帖が、大晦日で、余白のページがなくなった。新しいサイン帖13冊目を置いた。「さあ、元日に、どこの誰が来て、このノートに最初にサインするか」。非常に興味があった。ところが待っても、待っても、元日には誰も来ない。「ああ、もうダメか」と、閉館、5分前になった時に、母と、娘さんが入ってきた。それが花澤さんと、17歳の娘さんだった。新しいサイン帖に、第一発目に書いたのが、この2人だった。母は「神父さまにお会いしたかったです。エリザベット」。娘は「今年も楽しく生きられるように」と書いていた。出会いの恵みがあったんですね。それから花澤さんとは交流が始まった。日記の愛読者にも、なってくれる。そこから「元日のエリザベット」と呼ぶようになった。ふしぎなもので、次の年、2013年元旦に、初めて聖コルベ館を訪問したのは、あの娘さんだった。その時の様子も、日記に書いてある。記録は、古いタカラを掘り起こす、思わず、ニヤリとさせる内容が書かれていた。それは、もう書かない。
★きょう、花澤さんに電話した。「きのうは、野々村さん、塩沢さんとは長崎市・中華街で別れた。きょうは浦上天主堂周辺を回った。しかし大雨に会いました」
★きのう、塩沢美樹さんが「毎日新聞」に記事が載っていました、と渡してくれた。野々村哲さんも、塩沢美樹さんも一緒に写っている写真があるので、載せました。

2019年8月28日水曜日

3人のお客さん。楽しいひと時。出会いは、温かいご縁になる

午後、野々村哲さん、塩沢美樹さんが、東京の花澤美和子さんを連れて来た。花澤さんとの出会いは、7年前の正月・元旦、長崎・聖コルベ館に於いてであった。閉館する5分前に飛び込んできた。以来、「元日のエリザベット」と呼んでいる。日記にも、時々コメントを寄せている。この度は、わざわざホームのトマに会うためと、写真展を見るための長崎入りだった。野々村さんに連絡して、3人で来てもらった。
★野々村さん、美樹さんには、お世話になっている。2人がホームの自室を訪ねたのは、4年前の8月28日だった。今日は、8月28日。同じ日になる。実は、8月28日は、美樹さんの誕生日です。「美樹さん、おめでとう」
★花澤さんは、娘さんとホームに来た。「元日のエリザベット」になってから、何度かお会いしている。楽しい会話のひと時を過ごした。出会いが、温かいご縁になり、長くつづくのが嬉しい。写真展の開催も、野々村さん、塩沢さんのお陰だった。
★大分県の恵理子さんが、トマの「カード」を作ってくれた。写真展に来る入館者に渡してください、と野々村さんに預けた。9月8日まで写真展はつづく。カードには、短い言葉と、絵が書いてある。入館者の手に渡れば、喜びと恵みがあるでしょう。

2019年8月27日火曜日

屋外は暗く、激しい雨が降っている。日記の手も振るわない

ホームで「書道」教室があった。わざわざ女性の先生が来られるのに、参加者は2人だった。気のどくだよ。先生の家でも、書道教室を行なっている。高来町は、むかしから書道が盛んな集落だ。夏休みでもあり、小・中学生が、20人、30人と習いに来ている。ホームでは習う者が居なくて、すみませんね。先生から、手本を与えられ、五文字の書を書いた。なんて読むのか、正直わからない。
★午前中、入浴したら、からだが疲れた。ぼんやり過ごすうちに昼飯になる。午後からベッドで休んだ。起きたくない。しかし日記もある。祈りもある。屋外は激しい雨が降っている。気分が、すぐれない。テレビを付けると、韓国と日本の摩擦の話ばかりだ。
★長崎・聖コルベ館に電話をした。2月に500部発行した「写真集・昭和に生きた修道者たち・長崎・ポーランド・コルベ神父の修道院」は、半分を聖コルベ館に渡したが、「写真展」でも配布して、もう無くなった、と聞いた。また、長崎では、昼のニュースでも、写真展が出ていましたよ、と教えられた。「え?そう、なの」

2019年8月26日月曜日

8月。今年も贈られてきたお花。何十年と、思いは消えない

8月も終わろうとしている。この8月で、書きそびれていたことがある。それは、この写真のお花です。8月9日、母親の原爆忌のときに、毎年、必ず贈られてくる。もう十何年ですよ。こんなに続けて、根気よく、送って、思い出して下さる家族が居るんですね。
★それは今から20年ぐらい前のことでした。修学旅行に来た小6の子供たちに、原爆資料館でお話をした。すると、小6の皆さんから、作文集が送られてきた。1人、1人に、短文のメモを書いて、学校宛に送ったんですね。その中から、1人の女子児童が、手紙で返事をくれた。それが縁で、何回か、文通があった。
★名前を「衣里さん」といった。中学生になった衣里さんは、「1年かけて、千羽鶴を折りますから、どこかに飾って下さい」と願いがあった。わたしは「がんばってください」と答え、毎月、百羽づつ届く折り鶴を、原爆老人ホームを訪ねて、ホームのお年寄りの部屋を飾った。衣里さんは、クラブ活動もあるのに、折り鶴作りに専念した。
★三百羽、五百羽、七百羽とつづけて、千羽鶴を折った時、お母さんと長崎へ来て、千羽目の鶴を、10人目のお年寄りに手渡したのだった。右が、その時の写真で、新聞記事にも載った。あれから20年が流れている。いつの頃か、わたしの母の命日に、必ずお花が届くようになった。
★衣里さんは結婚されて、子供さんも居る、母親になった。それでも心はつながってきた。1度、お宅へ訪ねたこともあった。ホームに来ても、毎年、お花が届く。こんなに長期にご縁をつづけて、お花を贈ったくださるのは、衣里さんとお母さんの他には居ない。便りは無いが、お母さんはご健在のようです。毎年、この記事を、お花が届くたびに書いていると思いますが、やはり贈られて来たお花を見ると、日記に書きたくなります。何十年と、つづけるのが、すばらしい、心温まる話じゃないですか。少女に灯った愛の心は、いつまでも消えない。

2019年8月25日日曜日

ステキな笑顔、祈る姿は、生涯のこる。恵みは、あなたにも働く

日曜日。今朝の「西日本新聞」にも「写真展」の記事が、写真入りで出た。新聞やテレビのお陰で、助かる。
★「写真展」のオープンの日だった。聖母の騎士で、聖コルベ祭日のミサで祈り、ルルドへ登り、その後、写真展を見た女性2人が、ホームの自室に訪ねてきた。夕方だった。今から列車で、福岡へ帰るという。聖母の騎士での祈りと、写真展のために、わざわざ来た。手前が「昌子さん」。度々ホームにも面会に来ている。奥の女性が「邦子さん」。初めてだった。
★先日、トマが診察の後、「写真展」の様子を見に行ったとき、備えのノートに2人の書き込みを見つけた。気持ちが分かる。新たな体験は誰にとっても大切だ。
★昌子さんが書いている。「とても、すてきなピース・ミュージアムで、表示されているトマさんの80数点もの写真を見せて頂いて、とても感動した。『昭和に生きた修道者たち』という写真集も、とても、すばらしかったが、更に大きく拡大された写真の中のお1人、お1人の、笑顔に勇気づけられた。また写真展に添えられて、飾られている修道士さんたちの額(美樹さん作)に、とても温かいものを感じました」。昌子さんは、「フランス・ルルド巡礼の添乗員を18回務めた」と言っていた。今は引退した。ルルドに魅せられ、今度、19回目、静かな祈りの巡礼を希望している。
★邦子さん。初めてお会いする。「昌子さんのご縁を頂いて、写真展に向かい、幸せをいっぱい頂きました。トマさんのブログ、写真から、60年前、小学校の修学旅行で大浦天主堂に行ったとき、聖母の騎士誌を渡して下さった修道士さんが、マチア修道士さんだと分かりました。『わたし、ポーランドから、来ました』というお姿が、ずっと心に残っていました。そのお顔をはっきり思い出すことができて、とっても嬉しかったです。10年後、わたしは神さまの子供になりました」。神さまへの導きになって、実りがあるんですね。隠れた所に花が咲く。
★昨夜、美樹さんから電話があった。「写真展会場に行ってみた。テレビのお陰か、入場者が300人を超えたそうです。良かったですね」。嬉しい知らせだった。

2019年8月24日土曜日

「写真展」NHKテレビで放送。入館者が増えると、いいね希望

「写真展」も2週目に入った。もう1度、盛り上げるためにも、ちょうど、いい時期に、NHKのニュースに放送された。喜んでおります。昨夕の、長崎地方の番組でした。6時10分から7時まで時間の、真ん中ほどの3分間でした。
★「修道士が写した長崎」がタイトル。「原爆で唯1人の肉親だった母親を亡くし、カトリックの修道士になった91歳の男性が、昭和30年代から50年代にかけて、長崎で活動した修道士や神父たちを撮影してきた」と解説があった。
★小崎登明のコメントが1言語っている。「むかしの、ね。もう、忘れかかったポーランド人の修道士の働きとか、知ってもらいたいなと、それが一番の願いです」
★ポーランド人の修道士さん達の思い出がイッパイある。ゼノさんも、カシアノさんも、ゲラルドさんも、ローマンさんも、彼はトマがホームに入って、ホームで生涯を終えた。懐かしい人たちです。彼らに助けられて、今が、ある。人生を貫く一本の道のようだ。ポーランドの人たちと、ご縁があるとは、ふしぎなことです。
★中でも、ゼノさんは忘れない。聖母の騎士に、雨の日、扉を叩いたとき、最初に出て迎えてくれたのが、ゼノさんだった。テレビの解説も、こんなにあった。「ゼノ、死ぬヒマ、ないよ、と言いながら、戦災孤児や困窮している人たちを助けるために活動した姿も写しだされています」
★修道士といっても、人それぞれに、性格が有り、気分があり、からだ付きも異なる。だが目指す場所は一緒だった。
★写真を見て「温かい気持ちになった」「生きる力をもらった」「何度か訪れた聖母の騎士修道院やルルドのマリアさまへの道を思い出しました」「笑顔に勇気付けられました」などの書き込みが、ノートに記されていた。
★生きるとは、困難にぶち当たっても、必ず、そこに助ける人が居た。それを乗り越えて、また進み、また困難に出会う。助ける人が居る。それが人生だ。だから、いまの自分が居る。長く生きると言う事は、それを体験する事です。希望、だよ。生きる希望を持とうよ。生きるのは、1回切しかない。大切な人生だ。感謝しながら、大事に呼吸して行こうじゃないか。この「写真」の人たちが、無言だが、教えてくれる。



2019年8月23日金曜日

ネコちゃん、かわいいな。でも、オレはイヌが好きだ。生き死ぬ人

男子職員の松村さんが、自宅で飼っている「ねこチャン」たちを連れて来た。多すぎるんだよ。女性の職員さんが抱えて加勢する。「こら、ジッと、せんか」。名前は何だったけ?「バナナ」「ミカン」「モモ」「イチゴ」。オス2匹は前者。メスは後者。名前で、わかるわ。
★飼い始めて、2年になるかな、と松村さん。寝る場所は思いのまま。4匹も居ると、夜中も走り回るそうだ。目を見れば、やはりカワイイなァ。イノチある生き物だからね。でもオレはネコ派じゃない。やっぱり好きなのは、イヌだね。犬派だ。それも飾りが無い犬だね。
★柴犬が好きだ。ネコを抱えているお2人さんには申しないけど、飾り気がない、スキッとした柴犬が、いいね。「付いて、来い」と言えば、ちゃんと従ってくる。好き嫌いは、その人の性格をあらわしているよ。シャキッとしているのが、オレには受け入れやすい。毎日、朝から楽しみに必ず見ているのが「きょうの、わんこ」だね。これを見て、8時から、各局で、何をテーマを出しているのか、一応、チャンネルを回して、確認してから、朝食へ向かっている。
★先日、平成元年に入居して、令和元年に亡くなった女性がいた。彼女の人生を考えるとき、見事な生涯だったと思える。生きることも、死ぬことも、同じ線上にある。リッパに死ぬことも、その人の生き方にある。
★ネコを見ながら、イヌをも思い、人の生き、死にまで、考えた。妙なモンな。

2019年8月22日木曜日

長崎市へ。定期の診察。ピース・ミュージアムを訪問。感謝する

月に1度の定期の検診。この日は気が重い。長崎市まで出かける。負担になる。ガマン、ガマンと、高原修道士さんの運転・介添えで、ホームを午前8時には出る。朝食は修道院で食べる。パンと牛乳とヨーグルト。簡単な食事。高原さん、速度をあげる。雨が降り出した。
★9時過ぎに、ヨゼフ・クリニックに着いた。5、6人が待っている。シスターの姿もあった。高木先生から「ブラザー」と大きな声で呼ばれる。イヤだが、これもガマン。「テレビ、見たよ」と高木先生。既に、血圧の薬はやめた。2週間の血圧の表を見せる。「もう、やめても、いいね」
★診察を終わって、折角だからと、ピース・ミュージアムへ様子を伺いに向かう。巨大な観光船(16万8千トン=乗客6千4百人)が着岸していた。雨は既に上がっている。観光船の傍に、小さな展示場はある。館員の3人さんが揃っていた。左から村田さん、増川さん、石井さん、お世話になります。「入場者の具合は、良好ですよ」と喜んでくださる。
★1週間が過ぎたが、227名が入場している。入場者のノートより。「クリスチャンではありませんが、小崎さんのブログを通して、いろんなことを考えさせられます。高原修道士さんからお声をかけていただきました。『ブログの中に出てくる修道士の高原です』と言われて、ほんとうに、びっくりしました」。トラピスト野口嘉右衛門神父の甥です、という記事もあった。
★小さな写真展だが、心ある方々に見て頂き、感動を与えているお恵みを感謝した。本当に、写真展まで発展して、良かったと思っている。野々村哲さん、塩沢美樹さんの協力のお陰だった。写真に写っている修道者の1人1人が、祈りと、笑いと、喜びの姿で、愛と平和を呼び掛けている。
★帰りの車の中で、携帯に知らせがあった。「きょうの、夕方、6時過ぎのNHKのニュースで、写真展を報道します」。これを見て、更に入場者が増えるといいですね。

2019年8月21日水曜日

ホームで暮らした30年、女性の最後は屋外から眺めて喜んだ

ホームに入って5年目になります。老いのホームですから、その間でも、幾十人の老人を見送ってきました。逝く人のため祈るのは、やはり、自分の将来のことも重ねて、寂しい思いです。
★月曜日の夜、からだが徐々に弱っていた女性が亡くなった。次の日、火曜日の午後、ホームの祭壇の間で、お通夜が行なわれた。園長神父さんの話です。「マリア〇〇さんは、平成元年8月に入居して、令和の元年8月に神さまに召されました。30年間、ホームで生活されたのです。入居された時は、お元気でした。家族として、信仰について教えたり、弱い人を支えたり、活躍されました」。平成元年に入居して、令和元年に逝かれた、それを知って、「えッ、区切りのいい、マリアさんだったな」と心を動かされた。
★亡くなったマリアさんについて、食卓で話題になった。日曜日に、親戚の人が来られて、屋外の、聖フランシスコのご像の前で、写真を撮っていました。それを聞いて、「え?ホントなの?」と、疑いをもった。この数か月、徐々に、からだが弱っていた女性が、屋外に出て、写真を撮るなんて、信じられない、と疑った。「写真を撮ったというのは、あの職員さんです」と教えられて、その職員さんに聞いてみた。看護師さんの許可を得て、撮った。「ホントですよ」「いや、びっくり、だな」
★これが、その時の写真です。(親戚の許可を得て、載せました)。日曜日に、親戚の3人が見舞いにきた。女性は、急に明るい顔になって、「外に、出たい」と願った。園長神父さんの付き添いで、聖フランスシスコのご像まで連れて行ってもらった。喜んで、目をパッチリあけて、安らかに、満足そうに、楽しんでいた。30年の長い期間を暮らしたホームを屋外から、しっかりと眺めていたのです。
★次の日、月曜日の夜、マリアさんは91歳の生涯を閉じた。眠るような、安らかな最期だった。うらやましい終末だった。
★火曜日がお通夜で、葬儀は、水曜日(きょう)の午前に行なわれた。91歳、30年をホームで過ごした。人生の3分の1をホームで暮らした。平成に入って、令和に逝った。マリアさん。最後は、アシジの聖フランシスコのご像の前で、写真を撮った。ホームを眺めて、神に感謝し、聖母マリアに感謝し、職員さん、入居者の皆さんに感謝し、パッチリ、目をあけて眺めて、その翌日に生涯を閉じた。こんな素晴らしい死に方があるだろうか。この女性、マリアさんの思い出は決して忘れない。マリアさんはホームの墓地に埋葬されるように望んだ。葬儀ミサ、告別式終わり、棺のフタをあけて親戚初め、職員ん、ホームの皆さんがお花を添えた。遺体の上に、あの聖フランシスコご像の前で撮った写真が、載せられていた。

2019年8月20日火曜日

天草からのお客さん。幸男さん夫妻、シスター2人。笑みの一時

1枚の写真が残っている。天草(熊本県)の本渡カトリック教会です。日付は、2016.12.30になっている。年の瀬だった。天草に渡った。
★右から、谷村神父さん。天草の幸男さん。天草の教会の主任司祭、渡辺神父さん。トマ修道士。幸男さんの奥さん。幸男さんとは古くからの知り合いで、トマと同年代、親交はつづいている。この時は、幸男さん夫妻から、天草の大江天主堂や、崎津天主堂まで案内された。今は懐かしい思い出だが、谷村神父さんが既に故人になられたのが寂しい。
★その天草の幸男さん夫妻が、突然、ホームに面会に来た。天草で宣教するシスター2人も一緒だった。幸男さんは、トマと同年代だが、3ケ月遅く生まれたと言った。谷村神父さん、大曾神父さんが逝かれたのが、「早かった、な」と嘆いていた。シスターは長崎県内のカトリック集落の出身で、明るい話題で、心が温かくなった。

2019年8月19日月曜日

写真展・ポーランド修道者③セルギウス、ミロハナ神父、カシアノ

「ナガサキ・ピース・ミユージアム」で行なわれている写真展。7つのA5の額が置かれている。その説明をしております。最終回の、セルギウス修道士、ミロハナ神父、カシアノ修道士です。
★セルギウス修道士は、コルベ神父が日本を去る時、「後を頼みますよ」と特別に言われた。その誇りで生きていた。ポーランドの旗がある。ポーランド人の教皇・ヨハネ・パウロ二世を長崎聖母の騎士修道院にお迎えした時、ポーランド人の修道士たちはポーランド語で会話し、大きな喜びであった。セルギウスさんは言った。「ポーランドにも、こんな偉い人が居るんだね」。彼は晩年、コルベ神父が残した「ルルド」を大切にして、担当者として清掃し、ルルド詣りに来る人に会話を楽しんだ。ポーランドのお菓子を作るのが趣味で、ルルド参詣者に配って、喜ばれた。セルギウス修道士は103歳で生涯を閉じた。
★ミロハナ神父は弱い人、貧しい人、病人、困窮者、障碍者などに深い愛情を示した。助ける神父だった。戦争中は、軍部と向かい合い、神学生たちを守る。終戦後は、戦災孤児、原爆孤児の少年を迎えて、養護施設を作った。老人ホームも作る。女子の修道女会を創立して、幾多の障碍者施設を作った。また聖母の騎士信心会を広める努力をした。
★カシアノ修道士は、ポーランドで入会の時から、長崎でも、生涯、炊事担当として、活躍した。仕事の合間に、祈った。祈った。彼が最も好きな聖ヨゼフに祈った。聖ヨゼフへの信心を広め、炊事場に居て、聖ヨゼフの本も出版した。
★こうしてポーランド人の修道者たちを眺めてみると、塩沢美樹さんは、よくぞ、その特徴をつかんで、小さなガクの中に収録できたと、感心する。カシアノさんの「フライパン」が、いいじゃ、ないですか。エプロンも、すばらしい。80数枚の写真の展示の中で、目立たないように置かれた7つの小さなガクだが、心に届く発信をしている。
★写真展を見ると共に、この小さなガクたちも、何かを語りかけてくれるでしょう。

2019年8月18日日曜日

「写真展」を飾るポーランドの修道者たち②ゲラルド、コルベ神父

「写真展」が開催の「ナガサキ・ピース・ミュージアム」です。右下が入口。芸術的な建物。入館者は好調のようで嬉しいです。塩沢美樹さんの報告によると、14日、開館の日は53人。15日、23人。16日、43人。17日、午前中で24人が入館したと教えられた。無料配布の「写真集」は100冊を用意したが、半数ほどが無くなった。館員さんの話では、マチア修道士さんから騎士誌を貰ったという福岡からの女性も来た。小崎修道士から案内して貰った家族も来たそうです。
★A5の額は、ゲラルド修道士(左)と、コルベ神父です。
★ゲラルド修道士は、恥ずかしがり屋さん。セパードの犬をかわいがった。ゲラルドさんの犬はポーランド語しか理解しない。虫や、花や、小さい生物に優しさを示した。フランシスコの精神が彼の中に生きていた。コルベ神父の時代に長崎へ来て、戦後、休暇もあったが、1度もポーランドへは帰国しなかった。「ゲラルドさん、ポーランドへ帰りなさい」と言えば、答えは、いつも「およしなさい」。長崎で亡くなった。
★右は、コルベ神父。赤いカンムリ。白いカンムリ。ヒゲと、メガネ。ポーランドでも、長崎でも、「けがれなき聖母の騎士」の雑誌を発行して、人びとの回心と聖成を熱望した。生涯、愛と、清さを貫き、最後は身代わりの無償の愛で、完全な奉献を捧げた。
★「写真展」を見学した人から質問があった。「なぜ、長崎に、ポーランド人ですか?」。答えは、コルベ神父の宣教の計画です。東洋で、人が多い国を望んだ。インド、中国、日本です。中国は上海で打診した。2人の修道士を残した。次いで日本。汽船は上海を出て、長崎港に入港した。港に入る汽船から、大浦天主堂が見える。コルベ神父は、出島の岸壁で下船して、真っ先に大浦天主堂へ向かった。迎えたのが天主堂の玄関に立っている聖母マリア像であった。「ゼノさん、ごらん。(日本人は誰も迎えなかったが)マリアさまが私たちを迎えてくださいます」と喜んで、堂内に入り、信徒発見の聖母子の祭壇で祈った。(信仰の復活をもたらした奇跡の最高の場所です)。コルベ神父は聖母マリアに導かれて、この長崎に宣教の拠点を置いた。「聖人が行なう事には、無駄がない」

2019年8月17日土曜日

写真展。額に入ったポーランド人修道者たち①マチアとゼノ

この度の「写真展」に、「ポーランド人修道者たち」の小さな額(A5)が飾られている。心を引き付けられる、ほほ笑ましい、温かい気持ちになる作品です。全部で、7人が並んでいる。日記で、当の修道士たちを紹介していきましょう。「写真集」を作り、「写真展」に導いた2人のうち、塩沢美樹さんの作です。本で読んだり、聞いた話を基にして、自分のイメージで作った。各人の特徴を生かしながら、こまめに作っています。一見しただけで、すぐピンと分かる修道者たち。ホントによく作っているなと感心しています。
★左は、マチア修道士。右は、ゼノ修道士。
★マチア修道士さんは大柄の体格で、大浦天主堂の下で「聖母の騎士」誌の冊子を配布していました。「これ、ほしい、ですか?」。だれ、かれ、となく声かける。マチアさんから貰った聖母の騎士の雑誌で、教会へ行くようになった人も沢山居ります。マチアさんは、最初の頃は、修道院の中で、パンを焼き、牛を飼って、牛乳をしぼって、修道士たちの食卓に出していました。修道院では、パンも牛乳も市販のものを使うようになって、騎士誌の配布に日々を過ごし、宣教するようになった。それで、パンと、牛を織り込んでいる。美樹さんは言う。「マチアさんには、優しいイメージがある」
★右、ゼノ修道士。ゼノさんは有名です。白いヒゲを生やして、全国行脚して、孤児や貧困者や災害に遇った家族を助けた。「写真展」にも、ゼノさんの写真が沢山展示されている。ゼノさんの「カバン」。奇跡のカバン。このカバンから、材木やセメントや食料や、お菓子などが出て、人びとに「無償の愛」を与えた。ゼノ修道士の左上に「白いタオル」がある。ゼノさんの晩年、ベッドに伏せる日が多くなった。ゼノさんの部屋のタオルが汚れているので、「ゼノさん、これ、もう捨てましょうか」と介護の神父さんが言った。するとゼノさんは「それは、すてないで、ください。そのタオル、なくなると、わたし、貧しい人のこと、わすれます」
★美樹さんの言葉。「ゼノさんは、身1つ、カバン1つで、風のように人を助ける。ゼノさんは、つかめない人。黒い2つは、ゼノさんのクツです。最後の最後まで、貧しい人のことを思った。すばらしい人柄です」

2019年8月16日金曜日

パソコンで「写真展」の動画を見て下さい。様子が分かります

この度、長崎「ピース・ミュージアム」での写真展でお世話になりました専務理事の増川さんです。出発点となったのは「写真集・昭和に生きた修道者たち」の発行で、すぐ増川さんが、この写真集を手にして、写真展を決めたそうです。展示場で、いっしょに記念の写真を撮りました。
★写真展については、パソコンでも動画で見ることが出来ます。ぜひ、ごらんになってください。①「小崎登明写真展」で検索する。②幾つかの項目が出てきます。③その項目の中の「修道士・小崎登明・91歳展NNNニュース・日テレNEWS24」をクリックする。④展示の写真が出てきて、真ん中に、動画の印が出ます。そこをクリックしてください。⑤写真展の説明が流れます。開催・初日の様子が分かります。
★展示されている写真の中でも、注目される写真が、「被爆マリア像」と、「被爆マリア像の抱く故・野口嘉右衛門神父」でしょう。上の写真の左側に、その2枚の写真が展示されています。この写真の他にも、被爆マリア像を浦上に残して、北海道のトラピスト修道院に帰る野口神父さんが、寂しく思いをしながらも、切ない気持ちで「マリアさま」を見詰める写真も撮りました。(この写真は展示されていない)
★お盆の休みも重なり、写真展は入場者も多く、好評です、との知らせがありました。ありがたいことです。沢山の人に見て頂き、9月8日までの期間、無事に過ごせるように願っています。長崎近郊の方々は、ぜひご覧になってください。巨大な観光船が入港しない日は、ミュージアムの隣に駐車場があります。(観光船入港の日は、大型バスで満杯となる)
★その際は、電車利用か、タクシーが便利でしょう。写真は展示開始の当日、取材が終わった後の、会場の様子です。日を選んで、ホームからも見学に出かけます。

2019年8月15日木曜日

写真展のテレビ放送。3局で、同じ時間帯に出た。見れないよ

取材にきた長崎のテレビ。夕方のニュースで、「昭和を生きた修道者たちの写真展。被爆マリア像返還の写真も」という題で、放送された。
★このテレビの放送では、最初に、被爆マリア像と故・野口嘉右衛門神父、が紹介された。「せめて写真だけでも」の字が出る。野口神父が願った言葉です。「ご像は浦上にお返ししますから、せめて写真だけでも私にください」。それに応えて撮った被爆マリアの写真です。
★テレビでの私の言葉。「家族を失い、孤児になった。孤独になった時に救ってくれたのが、ポーランド人の修道士さんたちでした」「孤独と出会い、愛と命、それが私の人生だった。今、振り返って思いますね」。このテレビでは、「修道士の祈りや笑顔、無償の愛であふれています」との説明があった。
★同じ時間帯の、別のテレビ。こちらの方は、「91歳の修道士の写真展」がタイトルだった。「コルベ神父のふるさと、ポーランドの修道院」の説明から始まった。ポーランド人の修道士たちが歩いている。また食堂での修道士たちの大勢の修道服の姿が放映された。私の言葉。「お祈りや、修道士たちがもっている優しさが平和の原点になると思う。そういうものを感じてほしい」
★また、同じ時間帯に、3つめのテレビが放送されたが、それは録画できず、見れなかった。電話がかかってきて、「小崎さん、いまテレビに出たよ」と伝えて来た。
★今朝の「長崎新聞」です。顔なじみの女性記者さんが、野々村哲さんや塩沢美樹さんも写真に載せて、適切な文章でまとめてくれた。満足した記事になった。

2019年8月14日水曜日

「写真展」始まる。初日、テレビ、新聞の取材攻め。初体験だよ

聖コルベの祭日。ミサで祈る。朝、早く、高原修道士さんの運転で、長崎市へ向かう。大浦海岸、国道添いにある「ピース・ミュージアム」に着いた。ちょうど、開館の時間、9時だった。小さいが、しゃれた建物。館員さんに挨拶する。「お世話になります。展示を開いて下さり感謝します」
★安堵する間もなく、ドカッと、館内は、テレビや新聞記者であふれてきた。もう、ビックリしましたよ。
★テレビはNHKも入れて、3テレビ。新聞は、長崎新聞を入れて、他に2社。次から次へと質問攻めに遇った。カメラを向けられる。新聞記者は問いかける。こんな出来事は初めてだよ。アタマは、こんがら、がって、整理もつかない。開館と同時に始まって、昼の12時過ぎまでつづいた。ホントに疲れました。高原修道士さんも修道服姿で、皆さんに応対してくれた。83枚の写真が展示されていた。今夜のテレビ、あしたの新聞が楽しみです。展示の写真については、またお知らせします。
★この展示に至ったのは、野々村哲さん、塩沢美樹さんのお陰です。彼らとの出会いと、彼らの働きによって、「写真集」が出来て、それが「ピース・ミュージアム」の館員さんの目にとまって、展示の運びとなったのでした。
★館を去ったのは、午後1時でした。彼ら2人と、高原修道士さん、私は、いっしょに安堵の昼食をとりました。ホームに帰ったのは3時過ぎでした。聖コルベの祭日に、写真・展示の開始があって、ほんとうに大きな喜びでした。原爆資料館で「語りべ」の際、お世話になった女性も見学に見えて、久しぶりの出会いに嬉しさ一杯でした。

2019年8月13日火曜日

聖コルベ神父といえば、白と赤の2つの冠。生涯において実現した

ホームの湯江教会に飾られている聖マキシミリアン・マリア・コルベ神父の額。毎朝、ミサ後に、9日間の祈りを捧げている。コルベ神父といえば、白い冠(白い花輪)と赤い冠(赤い花輪)です。コルベ少年が、ポーランドの町の教会の聖母祭壇で、聖母マリアさまから見せられた2つの冠。これがポイントです。「どちらの冠がほしいですか」「2つとも、ほしいです」
★白は、修道者になって清らかに生き抜く「証聖者」の証し。福者に挙げられる時は、白い祭服であった。赤は、信仰と愛を生き抜く「殉教者」の証し。聖人に挙げられる時は、赤い祭服であった。
★コルベ神父は日本、長崎に縁が深い聖人です。大浦でも生活し、本河内に修道院と学校を開いた。永井隆医師とも交流があった。
★写真は、コルベ神父を真ん中に、共に宣教したポーランド人の修道士たちです。長崎・原爆にあって、すべてを失い、孤児になって孤独の底に落ちた私を救ってくれたのが、このポーランド人の修道士たちでした。私は彼らと生活を共にするうちに、修道士たちの写真を撮っていました。
★あしたは、聖コルベの殉教の日、祭日です。この日に、大浦の「ピース・ミュージアム」で「修道士・小崎登明・91歳」の写真展が開かれるのは、本当に嬉しいです。聖コルベを直接に写真に撮ったことは無いが、私を助け、育ててくれたポーランド人修道者たちの写真の数々を展示できるのは、大きなお恵みです。素人(シロウト)の写真ですが、その表情に、祈り、喜び、笑い、安らぎを感じて頂ければ幸いです。
★孤独の私は、ポーランドの修道士たちに出会うことによって、沢山の出会いがあった。そして教えられたのが、お礼を求めない愛と、イノチの大切さです。コルベ神父から流れて来る身代わりの愛と、イノチです。人が生きるとは、孤独と出会い、愛とイノチ、これが人生です。その骨子は変わりません。
★あしたは、楽しみです。午前9時過ぎには、「ピース・ミュージアム」へ着くように出かけます。

2019年8月12日月曜日

聖歌の会。東長崎教会の皆さん。歌と笑顔のひと時。楽しい歌声

毎年、真夏に、やってくる。顔なじみ、楽しみでもある。中学生から、老年までの歌うことが好きな歌うグループの皆さん。普段は、東長崎の教会で、歌って、奉仕している。
★写真の「ド、レ、ミの歌」。楽しいよ、ね。趣向をこらしている。耳で聞かせて、目でも楽しませる。心遣いが嬉しい。老いたる胸も、ワク、ワク、するよ。聖歌はもちろん、「おさるのカゴヤ」「バラが咲いた」「夏が来れば思い出す」「ふるさと」など、若さって、いいね。歌は人を幸せにする。
★ 黒いハットの男性たち。この男性たちの仕事は何んだろう?疑問も湧いた。どんな人生を過ごしてきたのか。職業は、マチ、マチ、だろう。だが、歌が好きなのは、皆、いっしょだよね。男性だけの声も、いいね。もう、オレの声は、十分に出なくなった。若い頃は、人前に出て、演技する奉仕の心もあった。それは去ったムカシのことだよ。今は、聞かせてもらって、満足している。自分も変わったな。
★高原修道士さんは、以前は、東長崎教会で暮らしていた。幼稚園のバスの運転手を行なっていた。だから、これらの人たちとは知りあいだし、顔なじみでもある。高原さんもギターを弾いて、披露した。笛を吹く女性もいる。
★老いるとは、意欲が無くなる。興味が薄れる。それがイヤだね。眠ってなんか、いないよ。奉仕の歌声を聞くと、失せた意欲や興味が、モリ、モリと、湧き出て来る。「ごらんよ、空のトリ」。有り難い1時間の楽しみだった。東長崎までは車で1時間は要するだろう。

2019年8月11日日曜日

訪問客の妻子さん。現地の子供たちの笑顔に心を惹かれた、喜び

1人の女性が、ホームの自室に現われた。妻子さん、お久しぶり。「最初の出会いは、何だったのかね?」「コルベ神父さまを知ったのです。すごい人だな。どんな『こころ』を持っていたのだろう。それで長崎・聖コルベ館を見学した。出会ったのが、小崎さんよ」
★「あれから聖母の騎士で、洗礼を受けたのだったね」「要理を1年間、教えてくれたのが榊神父さまだった」「榊神父さまは奄美大島に転任したんだったね」「神父さまの所へ訪ねて行った」。受洗の神父さまは次の司祭だった。榊神父さまは、その後、病気で神に召された。思い出だけが残る。
★妻子さん「人の幸せのため、何かを尽くしたい。時間が有る。能力がある。6年前にNPO活動で初めて『カンボジア』へ。現地の子供たちの笑顔に心を惹かれた。ある村に、日本人の男性(故人)が建てた小学校がある。子供たちが世の中を知るために、本を読むのが大切。そこで小学校に図書室を作りたい、そう願って18回も通った。一般社団法人『ねむの木プロジェクト』を立ち上げて、募金を募って、図書室を完成させた」
★妻子さんの行動力の話を聞いていると、ホームでノウノウと過ごしているのが恥ずかしくなる。長崎で、私が入院しているとき、見舞いに来てくれた。心の優しい妻子さんだ。外国の、恵まれない地で、子供たち、大人たちと関わりを持つとき、喜びもあれば、危険や、迷いもあるだろう。妻子さんを応援してくれる人が沢山いる。
★人に出会うとき、その人の奥にあるものを理解したい。光っている部分の中に、エゴなるものはないか。その人の本質が知りたいですね、と妻子さん。現地の人に愛されている妻子さん。よく分かった。
★自分を無にして、他者に尽くして、苦労しながら奉仕して、お礼を求めず向かい合うとき、相手からは、信頼のほほ笑みが返ってくるのだろう。心、温まる日となった。