2019年7月31日水曜日

退院しました。またイノチをつなぎました。感謝とファイト

いつぞや病室で出会った看護師さん。「お久しぶり」「チームが2つあって、変わったのよ」「それで会えないんだ」
★昨夜、お医者さんから「退院の許可」が出た。
★午前10時前に、高原修道士さんが来る。お医者さん、看護師さんに感謝しながら、病院を去り、外気に触れる。喜びながら空気をイッパイに吸う。山、雲、家々、新鮮だ。
★ホームに着いたのは、10時半だった。やっぱり自分の部屋が、いい。気持ちが落ち着く。間もなく昼食。早めに食堂の前へ行く。皆さんに笑顔を振るまう。食事は久しぶりに皆さんと一緒。「かつ・カレー」だった。ホームの食事がおいしい。元気が湧いてきた。
★この度のステントの入れ替えは、順調に、スムーズに行なわれた。術後も前と違って快復が早く、全く心配はなかった。早々と正常に戻る。また4か月の、イノチをつないだ。老いても、病んでも、生かされているからには、自分にも何かの生きる意味が有るはずだ、そう実感した。「生」ある限り、生きよう。
★日記を見て、心配し、祈り、見守って下さった皆さんに感謝します。また「よい報告」が出来る日も来るでしょう。ありがとう。「ジンクーエン」

2019年7月30日火曜日

入院2日目。無事ステントの入れ替えが終わりました。

昨日の午後は痛みも無く、平熱、血圧も良く、本当に楽な処置でした。お医者さんは、ステントに石も汚れも付いていなかったと言いました。
今日は静かに休んでおります。順調に終わったことは、皆さんの見守りのお陰と感謝しています。明日午前中に退院できるでしよう。

2019年7月29日月曜日

きょう入院。その前に良い知らせ。十字架の道行。お祈りを頼む

きのう、ホームの自室に、1人の男性が訪ねて来た。私が知っている「増川さん」だった。「ナガサキ・ピース・ミュウージアム」の専務理事をしておられる。今年の2月に出版した「昭和に生きた修道者たち・長崎とポーランド・コルベ神父の修道院」(113頁)を手にして、「写真展」を開きたいという正式の相談だった。もう何年も前、「アンネのバラ、コルベのバラ」の展示でお世話になった。
★これから展示の写真パネルの製作に入る。オープンは8月14日から、3週間ほどを予定している。8月14日は、聖コルベの祭日で、この日から「写真展」が開かれるのは、お恵み、導きと感じて、感謝した。良い知らせだった。ピース・ミユウージアムは、長崎市松が枝(大浦)にあり、場所は、狭く、小さな所だが、17年の歴史がある。喜びの知らせだった。嬉しい。明るい気持ちで、これから入院します。
★諫早総合病院。高原修道士さんの運転、介護で、朝、9時からホームを出発します。今朝、ミサ前に、瀧神父さんが「今日のミサの意向は、トマのために祈るからね」と伝えてくれた。ステント入れ替えの手術は、午後4時頃になるでしょう。安全に、手術が終わりますように、皆さんのお祈り、支え、見守りをお願いします。もう何十回となく行なってきた「入れ替えの手術」です。耐えて、我慢して、捧げて、お恵みを願います。では、行って参ります。

2019年7月28日日曜日

あら、窓辺に「カマキリ」が。お前、どこから来た。励ましにか

あした、入院です。ステントの入れ替え。痛いですよ。苦しいですよ。けさ、突然、窓辺に、「カマキリ」君が、あらわれた。こんな事って、あるか。なんで、こんな高い所まで上がって来たんだ。ボクを、はげます応援か。わかったよ。君も、イノチがある。足は細いが、大きなカマを持っている。そのカマで、獲物を採取する。生きている。
★入院は、やっぱりツライ。でも、ボクは、腎臓からボウコウまでの、クダ(ステント)を交換しなければ、生きてはいけない。受け入れるしかない。無心になることだね。
★小川に流されていく「ささ舟」のように、まかせて、成り行きに、乗って行くしかない。あしたは、病院の受付に行くでしょう。病棟に案内されるでしょう。看護師さんに会うでしょう。大部屋の皆さんに「よろしく」と言うでしょう。昼食は抜きです。点滴が始まるでしょう。看護師さんが何回も注射針を入れ直すでしょう。車椅子で、泌尿器科の外来へ。「先生、よろしくお願いします」。冷たいベッドの上に、大の字になって十字架に磔(はりつけ)の姿になるでしょう。流されるままに、順序よく行くだけです。何を考えるか。楽しいことを考えよう。生きれいることを喜ぼう。ああ、あの「カマキリ」君を思い出そう。そんなに、うまく行くかな。流れには、岩もあるからね。

2019年7月27日土曜日

沖縄から「まんご」の贈り物。文子さんとクララ先生の思い出

沖縄から「まんご」が届いた。毎年、送って下さる沖縄・泡瀬の文子さんからだった。泡瀬は、沖縄の中部にある。もう12年前になる。泡瀬のカトリック教会を訪ねた。ここは著名な伝道師「クララ稲国良子先生」が、宣教の拠点にしておられた教会だった。クララ先生が逝かれて、2か月が経っていた。まだ思い出は沢山あった。
★「悪口、言われて、あたりまえ。失敗しても、ありのまま」。95歳で神に召されたクララ稲国先生の言葉だった。「クララ先生のこと、もっと知りたい」。私の願いを聞き入れてくれたのが、信徒会長を務めていた文子さんだった。文子さんは、クララ先生をよく知っている人たちを10人ほど集めてくださった。「有っても、喜ぶな。失っても、泣くな。人の定めは、あとで、わかる」「神さま、今日、一日分のお恵みを、ください」。10人の皆さんは、それぞれ思い出を語った。
★文子さんにはお世話になった。ホームに入ってから、毎年、「まんご」が届くようになった。オキナワからの贈り物。めずらしい果物。今日も、元気が出るぞ。

2019年7月26日金曜日

リッパな「もも」が届いた。食べてゲンキを付けよう。苦と楽

見事な「もも」の贈物が届いた。うれしい。広島の岩本さんご夫妻からだった。息子さんが、山中に「果樹園」を経営し、そこで採れた「もも」です。今年の異常気象は、「もも」にも、影響をもたらしたらしい。「日照不足で、桃の色付けが遅れています。成育も少し遅くなっています」とメモが入っていた。息子さんの「果樹園」を訪ねたこともある。広い丘に、「ぶどう」や「もも」の沢山の樹木があった。
★岩本さんご夫妻との交流は、何十年と続いている。ホームに訪ねて来られたこともあった。広島から、車で来られた。私に「ぜひ、広島に、来なさい。車で、送り迎えするよ」とまで言ってくれた。
★ご主人から、広島の、どこの店か知らないが、豪華な牛肉料理と「テール・スープ」をいただいた。「テール」は牛の尾の部分で、料理の仕方によっては抜群に「おいしい」。私の家は「精肉店」だったから、母が、牛のシリッポを煮て食べさせた。これが私の好物、母の味となった。そう簡単に出来る「テール」ではない。準備が、いる。私は「広島のテール・スープの美味しさを忘れない」と言った。車で店まで連れて行くとの、ご夫妻の熱心さだった。
★届いた「もも」を、おいしく、いただこう。来週は入院し、ステントの入れ替えの手術がある。楽もあれば、苦もある。それが人生だ。苦と楽が振幅して、ヒトは歳を重ねていく。苦があっても、生かされているだけが、ありがたい。何か、いいことも、ある。希望があるから、ね。

2019年7月25日木曜日

「逸歩」について、コメント。「お花」さん、ありがとう


昨日の日記に「逸歩」について分からない、と書いたところ、「お花」さんから、詳しいコメントを戴きました。しかも時間を見たら、23.09でした。毎日、日記を読んで下さるとのこと、感謝しています。そして説明が、よく分かりました。もつれたヒモが解ければ、すぐに全体の意味が理解できるんですね。ありがとう。
★「逸歩」とは、並外れた歩み、ケタ外れの歩み、すなはち「躍進」。ひいては「成功」です。
★タネを蒔いて、水を注いで、雑草を取って、努力しながら成長を見守って、初めて花が咲き、稔りとなる。汗を流せ、ということですね。自分の畑だけ見守るのでなく、他者の庭も、畑も豊かにする。そこに平和がある。「逸歩」とは、素晴らしい一言だと、「お花さん」の長文のコメントを読んで、理解し、安堵しました。
★いま、この記事を書いていますが、30年前、椿原の小・中学校で、子供たちに語った話を思い出しました。
★韓国にいる「金さん」は朝鮮戦争で、砲弾の破片を受けて、両足の自由を失った。車椅子の生活になった。慰めのために、1つがいのハトを飼ったそうです。戦争が終わると、国土は荒れ、戦災孤児があふれた。金さんは将来を見越して、教育の必要性を感じて、私立の小学校を建てた。学校にはハトの家があり、子供たちが育てるうちに、あの1つがいのハトは、600羽に増えた。そのうち200羽は、白いハトだった。
★1988年、ソウル・オリンピックのとき、(ちょうど私が椿原に居た頃でした)開会式のとき、大統領が開会を宣言すると、2.400羽の白いハトが飛び立った。その中の200羽は金校長先生の小学校のハトだった。ただ残念なのは、北朝鮮の選手の姿がないことでした。オリンピックの後で、残る400羽のハトを北朝鮮に向けて飛ばす、という願いがあった。(新聞の名前は不明)
★この実話こそ、タネを蒔き、大切に育てて、それを心の宝に変えて、平和を願いながら、稔りを願う、これこそ「逸歩」の精神ではないでしょうか。韓国とも、仲良くしたいと願っています。私は、両親が北朝鮮に出稼ぎに出て、北朝鮮で生まれた子供ですから。

2019年7月24日水曜日

シルバー車を押しながら、字が読めない、意味わからず、悩むよ

いま、シルバー車を押しながら歩いております。3階の自室を出て、110歩で、エレベーターに着きます。2階に降りて、50歩で食堂です。シルバー車がなければ、長い距離、歩けません。不安を抱えながら歩いております。
★食堂の入口に、きょう、誰かが、大きな日めぐり暦を掛けた。献立表の横です。昼食が終わって、ここを通るとき、日めぐり暦には、確か、格言が載っているはずだ、と見詰めた。ありました。「種まかずして、小判も逸歩も、生える例なし」(井原西鶴・江戸前期の俳人)と書いてあった。種まかずして、生えない。そりゃ、そうだ。小判は、わかる。しかし「逸歩」とは、何か?これは、ちょっと、わかりません。後から来た女性も、「アンタが、わからんなら、ワタシも、わからんよ」と去っていった。
★自室へ戻って、早速、国語辞典を開いて探した。「逸歩」は載っていない。「いつ・ぽ」と読むのでしょうか。何んの意味か。わからない。漢字の「逸」を探した。2つの意味が書いてあった。
★①逸は「のがす」の意味。好機を逸する。範囲から、はずれる。②逸は「すぐれている」の意味もある。逸材ともいう。この「逸」と、「歩」で、どう読み、どういう意味があるのでしょうか。91歳の老人は、シルバー車を押しながら、悩むよ。タネを蒔かなければ、好機・チャンスの「歩み」を、のがしてしまう、というのでしょうか。江戸初期の俳人には、負けるよ。エライもん、ですな。

2019年7月23日火曜日

自分の歯があるのが自慢。歯は大切に。手入れに専念する

歯科の予約日だった。ホームの男性職員さんの運転で出かける。「何キロ、あるか、計って下さい」。歯科医院まで、ちょうど10kmあった。2年前の3月から通っている。最初は、歯に痛みがあった。歯科衛生士が、丁寧に掃除をしてくれると、痛みがなくなった。歯科衛生士が時間をかけて、丁寧に毎回、歯を清掃してくれる。
★とにかく、この歯科は時間がかかるのだ。呼ばれて、椅子に座って、20分待っていた。その間に、すばやくポケットのデジカメで写真を撮った。今日の日記に載せるぞ。やっと歯科衛生士が声をかけ、歯を点検して、歯石をとり、歯間ブラシで汚れをとり、電気のブラシで更に磨いてくれる。30分かかった。
★最後に、院長先生が、歯を調べて、状況を説明し、本人の希望に従って、治療を行なってくれる。32本の歯が揃っている。私の自慢でもある。もちろん、まともな歯は2本だけか。削って、ツメたり、かぶせたり、そういう歯だが、根底には自分の歯が、この歳で残っている。
★「今のところ、問題は2か所の歯にある。治療するには、総合病院に入院して行ないます」「いや、いいですよ。今は、痛みもないし、無理はしたくないので、そのままにして、何か有ったら処置して下さい」「経過を見ることにしましょう」。椅子から降りたのは、1時間が経っていた。毎回、歯と口腔の「治療管理」と「衛生管理」の2枚のレポートをくれる。次の予約は、9月10日。受付を終わったときに、ホームの車が迎えに来た。パッチリ、計算が、合った。昼食の時間にも、ゆとりがあった。

2019年7月22日月曜日

冷やしソーメンに、おしろいばな。夕方に咲くという。平凡日々

時計は11時50分を指している。もう間もなく昼食だ。手前の長椅子には、7,8人が待っている。ホームでは、食べることが楽しみです。
★今朝は、体操が終わって、入浴した。一人で風呂に浸かるのは、もう限度になっている。朝、ミサ後、男性から「まだゲンキじゃないですか」と言われたが、そうは、いかない。来週は、ステントの入れ替えがあるので、それまでは頑張るぞ、の心構えで居る。
★昼食は、冷やしソーメンだった。「どこのソーメンですか」。栄養師さんは「三色だから、わかりません」。他に、ご飯もあったが、「これで十分です」。ソーメンの追加を頼んだ。やっぱり、焼き鳥が付いている。備長炭焼、モモ肉、と読めた。デザートのフルース・ポンチか、緑は、そら豆をつぶして団子にした。おいしかった。屋外の雨は、上がっている。梅雨は、もう、あけるだろう。あしたは歯科医院へ。
★食卓のソバのガラス戸から、屋外の花壇が見える。「おしろいばな」が咲いている、と教えられた。花が幾つも咲いているので、どれね、どれね、と良く分からない。スリッパのまま、屋外に出た。日頃、花壇を整備している男性も寄ってくる。栄養師さんも出てくる。示された花は、左の花々だった。これが「おしろいばな」。日中は閉じており、夕方になると、開くという。めずらしい花やな、と思った。事務長さんが植えたそうだ。月下美人は夜中に咲く。おしろいばなは、夕方に咲く。この花が咲いたところを見たいな、とも思った。こうして、ホームの平凡な日は過ぎていく。

2019年7月21日日曜日

75頁の長崎歴史散歩のメモ。手元に残る貴重な資料。地図入り

先日、訪れた「長崎・めがね橋」と「橋から見た川下の風景」です。長崎には、歴史柄、この他、「出島」「唐人屋敷」「オランダ坂」など、有名な地がある。昭和49年頃、「長崎歴史散歩」という市民むけの実地巡りがあった。好んで参加した。その時、メモした古い手帳が手元にある。いま屋外は、梅雨で、しきりに雨が降っている。ガラス戸のそばで、古い手帳をめくってる。
★最初に、長崎に入港した船は、ポルトガル船だった。強烈な印象を与えたのだろう。ポルトガル語が今も残っている。パン、タバコ、コーヒー、コップ、ラシャ、サラサ、カステラ、キリシタン。長崎の人は、カボチャのことを、ボウブラという。これもポルトガル語からきている。ポルトガル船は、宣教師が乗ってきた。幕府は、キリシタンに苦しんだので、ポルトガル船との交流をやめて、オランダ船に切り替えた。出島ができて、鎖国となる。
★鎖国を行なった幕府は、唐人船には入港を許した。オランダ人は出島だけで暮らした。唐人さんは、広い敷地の「唐人屋敷」があった。オランダ船は毎年、1隻から12隻の入港。唐船の入港は、多い年には194隻を数えている。鎖国から、安政の開国まで唐船の入港は、3.557隻を数えている。
★昭和49年と言えば、45年前になる。あの頃、地元の郷土歴史家から、直接に聞いた話は貴重な遺品だと思って、懐かしかった。もう、そろ、そろ、梅雨も上がりだろう。暑い夏を、待っている。

2019年7月20日土曜日

カシアノ修道士の逝去のメモが見つかった。祈り、炊事の人だった

カシアノ修道士について、トマが記憶しているのは、ポーランドでコルベ神父の修道院に入った日、コルベ神父から、炊事場へ行きなさいと言われて、炊事の担当になった。1932年、長崎へ来ても、炊事場の係りだった。コルベ神父は長崎に居た。
★トマが入会した1945年も、カシアノさんが炊事場で、食事のお世話になった。東京で働いたこともあったが、務めは炊事場係りで、最後は長崎県小長井町「みさかえ司祭館」でポーランド人修道者のために炊事場を務めた。
★最後の日、修道者のために夕食を作って、自分の部屋に入り、ベッドに横になって、その夜に、そのまま神に召された。カシアノ修道士は生涯、聖ヨゼフへ熱烈な信心を捧げていた。きっと、その夜、聖ヨゼフがカシアノ修道士を迎えに来たのだろう、と信じた。
★先日、聖コルベ館から、トマの日記の束をホームに持ち帰った。手帳・日記に、カシアノさんの逝去について記したメモを読んだので、正確な記録として記したいと思う。
★1988年、辰年で、トマは60歳。還暦の年だった。1月1日の元旦は、湯布院(大分県)修道院で「おせち料理」を食べる。2日に、小長井修道院(当時、ここが住所)へ戻った。カシアノさんの「みさかえ司祭館」は、300mほど離れた場所にあった。
★メモには次のように書かれている。「1月4日、夕食まで、兄弟たちのため、つくった。その後、不具合となる。ニコニコ神父(正式の名前は、ズビグニエフ神父=いつも、ニコニコしてるので、そう呼ばれた)が、医者を呼ぼうか、いや、いいでしょう。1月5日、午前3時、不具合となり、電話に、しがみついた。かける。ニコニコ神父、急いで、かけつけ、告白、祝福、病者の秘跡、聖体。半分に、しようか。いや、全部、大丈夫。医者が来た。ベッドに移し、医者が注射。だんだん意識不明となり、死亡した。午前3時45分、カシアノ修道士、死亡。85歳」
★1月6日、水曜日。カシアノ修道士の葬儀が行なわれた。60歳の時だったから、31年になる。墓地は、小長井修道女院にある。信仰と食事の面で、大きな恩があるかシアノ修道士さんのため祈った。

2019年7月19日金曜日

久しぶりの絵手紙教室。描く楽しみ。自室からの眺め、バスだ

老人が、静かに、黙々と、ハガキ絵を描いている。楽しいじゃないですか。無心ですよ。過去は、すべて置き去りにして、いまが有る。いま、集中して、絵を描く。「絵手紙教室」。エレベーター工事の関係で、久しぶりの教室でした。
★何を描こうかな。幾つかの花を先生が持ってこられた。「鬼百合」を描いた。「おにゆり」は、いつ頃、咲くんですか。ちょうど、今時よ。五島に多いそうね。よく知っているな。まあ、なんとか鬼百合らしくなった。言葉を添える。これが、ちょっと、アタマをひねるんだな。「ゆりの仲間に、入れてヨ、願い」
★次は、アジサイを描いた。アジサイにも、いろんな種類があるんだね。え?これが、アジサイ。そんな花を描いた。入れた言葉が「長崎は今日も、雨だった」
★他のお年寄りの絵ハガキも並べてみた。この絵を見れば、楽しさが分かるよ。皆さん、お上手だね。
★平凡な、日々、繰り返しの毎日だね。それが幸せです。廊下で、車椅子の女性が、看護師さんに「腰が痛い、イタイよ」と訴えていた。誰しも苦労があるんだね。耐えて、笑って、生きていく。
★金曜日。午後から、月に1度の「ショッピング」。お買い物だよ。バスが出る。自室から、まともに見える。ガラス戸をあけて、網戸をあけて、ベランダに出て、デジカメを向けた。ホームの1つの風景だね。こっちを向いて、手を振っている。ボクは今日は遠慮しとくよ。飲み物、果物、日用品、薬に、沢山買ってきなさい。皆さん、買い物上手だよ。ホームに入るなら、しっかり歩けるうちに入居しなさい。バスに乗って買い物にも行けるよ。喜びもある。安全運転で、ね。

2019年7月18日木曜日

長崎市へ。診察の後、めがね橋で、ピース。用件もあります

長崎の眼鏡橋(めがね・ばし)。久しぶりに来たよ。石の感触が、いいね。分厚い石の積み重ねだよ。江戸時代の商人たちが、競って橋をかけた。やっぱり歴史がある。いつだったか、長崎水害で、この上にある橋群が、幾つも流された。復元された橋だが、この「めがね橋」だけは残った。
★川の両岸は、石の積み重ねで出来ている。ハート型の石があるんだってね。小学生たち5、6人が川岸を歩いて、ハート石を探していた。「あったよ、ここに、あるよ」。声は聞こえないが、喜ぶ姿が見えた。「ああ、あったんだ、幸福の石だよ」
★長崎のヨゼフ・クリニックへ診察へ行く。待合室に、待ち人が10人あまり、1時間半は待っていた。呼ばれて、診察室へ。「歩くのが大変になりました。ヒザが痛いと、部分的じゃなくて、アタマも、ふら付くし、カラダが前に進まないんです」「クスリを減らしてみましょう。2週間経ったら、また来てください」。この歳になったら、どこかに痛みや、困難がある。あまり気にしていない。
★「高原さん、帰りに、聖コルベ館に寄りましょう。ルルドのお水、汲むんでしょう」。その間に、聖コルベ館に残していた自分の記録類を風呂敷に包んで、車に乗せた。「帰りに、シルバーカーの小型のものを買いたいです」。ナフコに寄って、買ったのが、右のシルバーカーです。9.800円だった。これなら食堂にも入れるでしょう。
★昼食は、高原さんと、途中で、食べた。ホームに帰ったのは、2時頃だった。看護師さんが自室に来た。クスリのことを聞かれた。「日々、血圧を測ってください」

2019年7月17日水曜日

足が弱ってきています。老いを受け入れる心構え

自室を訪ねた3人。長崎市から大野幹夫神父さん、川渕浩修道士さん、そしてホームの瀧憲志神父さん。トマの健康を心配してくれる。有り難い。こころが慰めになる。
★実際、足が弱ってきています。教会や食堂へ行くのが、大きな負担になっている。いつまで、この状態がつづいてくれるのか。この後、生活は、どのように変わるのか。いま、瀬戸際です。カラダ全体にチカラが入らない。
★今朝は、ミサの前に、司祭が告げた。「山口雅稔神父さんのお母さんが神に召された。このミサでお祈りしましょう」。山口神父さんは長崎・聖母の騎士の院長です。いつもお世話になっている。祈りました。
★きょうは、ホームでは「参議院選挙」の事前投票が行なわれました。選挙の務めを果たしました。
★あしたは、長崎市・ヨゼフ・クリニックの定期の診察日です。朝から、高原修道士の運転・介添えで長崎市へ出かけます。

2019年7月16日火曜日

ひまわりは、太陽に向かってほほ笑む。ウラから見てもダメだな

きのう、食事処へ行った途中で写した田園のスナップです。広く咲いている「ひまわり」の花々。ポツンと見えるのは、トマトと、メロンを象ったバス亭。有明海は写っていないが、超えて遠くに雲仙岳が横たわっている。雲が、いいね。かきまざしたような白い薄雲。太陽は、雲仙岳の方から照らしている。ひまわりは、正直者だ。みな、陽の光の方を向いている。
★ひまわりは、元気を与える花だと思うよ。太陽に向かって、チカラ一杯に咲いている。みな、同じ方向に揃っている。こちらは、ウラだ、残念だな。
★有明海は、ちょうど大潮の時期だった。海水が遠くまで引いて、ガタが表れている。昔は、ガタに、ムツゴロウが沢山いた。ガタに好んで住む、泥まみれの小サカナだ。潮が引くと現われる。漁師は板に乗って滑らせて、釣り竿を振り回しながら、ウマーク、ムツゴロウをひっかけた。その奇才な風景は、もう無い。それに、この辺には「ひとくちタコ」が生息していた。小さな、ひとくちで食べられるタコで、夜中に採った。あの快挙を、いまの子供たちは知らない。
★「ひまわり」全部のウラを見ていると、「ああ、人間にも、誰しも、ウラがあるな」と思う。人間やから、な。いまは、まともで、正直者でも、どんな変転も有り得る。それが人間なんや。いつ、心が変わるか、わからんのが、人間なんや。悲しい「性(さが)」を背負っている。ウラのない人間に成りたいと思うよ。ホームに入った身には、もう遅いかな。「ひまわり」よ、こっちを、見てくれよ。そう願っても、自然の成り行きだから、ダメかな。いや、ウラから見ても、いいモンだ。それもある。「隠れた所にも、タカラがある」。複雑だな。
★人生、振り返ってみて、このボクでも、学校や団体に呼ばれ語る機会が多々あった。いま考えて、ロクなことを、しゃべっていない気がする。満足な語りは出来ていない。期待外れの会場の思い出もある。でも、あの時は、よくぞ、声をかけて、呼んでくれたと思う。人間の能力って、限りがあるんです。努力して、足るを知れ。

2019年7月15日月曜日

長崎から2人が来た。久しぶりの出会い。また何か起こりそう

久しぶりに、2人が来る。野々村哲さん、塩沢美樹さん。出会いから、もう何年になるだろう。2人は長崎市の在住。毎日の日記から「トマさんのことば」をまとめて出版したり、また「写真集・昭和の修道者たち」も出版した。お世話になってきた。この間、会ってのは「誕生会」かな。3月だった。
★三連休がつづいたので、「トマさんのところ、来てもいいですか」と電話があった。「ああ、いいよ。待っているよ」
★今朝、朝食のとき、女性職員さんが「外出、ありますか?」と尋ねにくる。「ハイ、お客さんが来るので、昼食は、いりません」と言うと、職員さん、わかるんだね。「野々村さん、たちでしょう」と言われて、ちょっとビックリした。何か、通じるものが有るのかね。
★ホームの自室に入ってきた2人は、まず部屋の広さに「ああ、すばらしい。眺めも、いいしね」と喜んでくれた。2人とも、元気で、明るい笑顔を見せてくれた。昼食は、隣町・小長井の「おおはし」へ向かう。小長井町のバス停は、イチゴ、メロン、スイカ、トマトなどで、絵になるよ。写真を撮ろうと、小長井支所の前で車を停めて、2人をデジカメで撮った。おもしろいバス停です。
★食事処「おおはし」は、行き付けの場所です。有明海の海沿いにある。私は、いつも「ひらす定食」。サカナが新鮮で、おいしい。2人は「さしみ定食」「あらに(荒煮)定食」を注文した。連休なのに、お客さんは少なかった。2人のカオを見ると、元気が出るよ。慰めになる。若者は、いいね。美樹さんは看護師の仕事を頑張っている。野々村さんは、休みの午後は、外海・出津のドロさまの館に手伝いに行っている。食事をしながら、ゆっくり食事が出来た今日は、楽しかった。満足だった。
★若い2人は、トマを応援してくれている。また次に何かが、起こりそう。期待が予想される。楽しみだな。こころ強いよ。

2019年7月14日日曜日

他者のために奉仕する。人生、つながって、良き実りとなる

自室のガラス戸から見えた。誰かな?男子ばかりの壮年たち。
★テラスに出て、写真に撮った。左から2人目は、山下神父さん。ホームの清掃奉仕に来ていた。玄関の周辺を掃除したり、各部屋のガラス戸を磨いたり、こまめに動いて、働いた。女性たちは、別の場所で、奉仕している。けな気なことだ。この後、焼き肉で盛り上がると聞いた。
★働けるのは、お恵みだよ。老いた私には、うらやましい。手を動かして、他者のために奉仕したか。汗を流したか。いや、いや、そうか、な。自分の満足や、フトコロばかりを考えていたのではないか。もう、おそいよ、ね。
★将棋の加藤一二三さんをテレビで見た。加藤さんは、コルベ神父を敬愛している。コルベ神父が、修道士たちと、笑いながら「西洋将棋」を指している写真が1枚だけある。コルベ神父が笑った写真は、この1枚の写真のほかには全くない。「笑った」「将棋」から、加藤さんはコルベ神父に特別な好意を持っている。その加藤さんが、テレビで、色紙に「白はつに なっても 実る」と書いた。加藤さんの説明によると、これは旧約聖書からの言葉で、老いても、達成。生き甲斐を持つ。自分の人生、どうして生まれてきたのか、何だったのか。何をすれば、いいのか。これから先、70歳、80歳になっても、喜んで生きる。何かを実らせることが出来る人生を目指します、と語っていた。確かに、これですよ。私も、同感です。
★高来中学校から、200人の生徒の「お礼の言葉」集が届けられた。返事を書かないと、イカンでしょう。早速、半紙を3枚、横につないで、油性ペンで、感想と感謝の思いを綴った。絵具を使って、ブドウの絵と、カニの2匹、ヒマワリの絵を描き添えた。校長先生宛に送った。きっと、見やすい壁に貼って、生徒の皆さんに読んでもらえるでしょう。最後に筆字で書いたよ。「愛と友情が いちばんの宝」と、ね。 

2019年7月13日土曜日

改築工事が終了。建物の清め、祝別式。皆さんは家族。愛と喜び

老人ホーム「聖フランシスコ園」の改築工事が完成した。長い年月がかかったが、玄関に向かって右側の建物、上下が新しくなった。エレベーターもベッドが入る大きさに変わった。車椅子や歩行器の人が何人でも乗れる。
★2階には、小聖堂も出来た。建物、エレベーターの清め、祝別式が山内園長神父さんによって行なわれました。瀧神父さん、濱田神父さん、高原修道士さん、それに用件で長崎に来ていた東京・関町の松尾修道士さんも参列しました。
★祝別式は、ホームの人たちも参加して、小聖堂で、聖歌をうたい、園長神父さんが「清めの祈り」を唱えて、聖水を持って、下の建物から、エレベーター、上の建物の各部屋を清めました。また小聖堂に戻ってきて、聖歌で終わりました。
★改装工事には巨額の資金が必要です。修道会の各修道院の協力や、寄付によって賄われた。窓やサッシなども入れ替えました。談話室や、風呂も新しいのが出来て、暮らしやすくなります。ホームの人たちは、ここでお世話になって、老いて、カラダは徐々に筋力が低下して、それぞれの人生の終末を迎えるのでしょう。山内園長神父さんは「私たちは家族である」と強調されました。
★「トマさん、ここに住んで、どうですか」「お世話になっています。5年目ですが、ホームに居ても、充実した日々が送られています。生きていれば、楽しいこともあります。昼寝の時間に、東京・赤羽のペトロ・イシトク神父さん(ルーマニア人)から電話があった。励ましにもなります。ありがとう」

2019年7月12日金曜日

見事に咲いた月下美人。美しい1夜の花は何を教えているか

午後9時14分、月下美人が見事に咲いた。ふしぎな花ですよね。夜勤の男性職員、松村さんに頼んだ。「今夜、咲くからね、頼むよ」。電気を付けたら、咲いていたんですね。
★誰も居ない。誰も見ていない。ホームは全くの静けさです。それなのに、こんなに立派な、すごーイ、花を咲かせる。気にかけるニンゲンが居るって言うことは、この地球を、この宇宙を、見ている御者が居られる証拠です。
★1分経過した午後9時15分、月下美人は、こんなに開いた。白い花びら。中に、黄色い「めしべ」か「おしべ」か、花の中心にある。それを守るかのように、花びらが重なって、開いている。それを、また花びらが取り巻く。最後の花びらは、細く、針のように、尖っている。なぜ、暗闇に、こんな素晴らしい花を、ひっそりと咲かせるのだろう。自分を誇らぬように咲く。エライな、思うよ。月下美人の花に、降参だよ。世の中には、ふしぎな意味を秘めるものが沢山ある。だから魅力がある。
★午前8時47分、朝食を終わって、月下美人を見に行くと、ああ、すっかり「チカラ」が抜けた状態だった。「役目を果たしたよ」。月下美人が、そう言っていた。「おう、おう、ごくろう、さん」。声をかけて、慰めて、誉めて、やったよ。年に、たった1度しか咲かぬ月下美人よ。大きなチカラをくれたよ。長い間、葉と芽の時代があって、たったの7、8時間しか花咲かぬ月下美人よ、ありがとう、ね。

2019年7月11日木曜日

月下美人が今夜は咲くぞ。楽しみだな。ソーメンもウマかった

昼食は「冷やしソーメン」が出た。外は、まだ梅雨は明けない。だが、この季節、ソーメン、いいね。焼き鳥も、2本。おいしかったよ。食べるのが楽しみだからね。食べなくなったら、もうダメだ。
★ソーメン、少ないね。四角の氷も、2、3個入っている。だから冷やしソーメンには違いない。白いのは、デザートだよ。正体は分からん。
★ソーメンを食べるぞ。ネギとショウガを入れて、最初の1っ杯が、ああ、なんとも言えぬ。「うまか、ぞォ」。カラダに浸み込んで、冷たさが、クチに、広がる。「おかわり、あるよ」。職員が大皿をかかえて回ってくる。「コッチ、コッチだよ」。声がとどかない。やっと来たかと思いきや、「もう、ありません」「ギョッ」。残念だ。食べ損ねた。ご飯も小サラにあったが、めしは、よか。よか。
★月下美人が今夜は咲くぞ。楽しみだな。ゲッカビジン。漢字で、どう書くの?月下?月花?どっちなんだ?検索したら月下美人だった。いつもなら、葉から花咲く葉が出て、その芽の先が、花に変化していく。その成長が分かるのだが、今年は、いつの間にかに、気がつけば、この姿になっていた。それでも、この月下美人、枝を「くねって、まげて」大きな花の部分を支えている。花も自分自身を大事にしているんだね。この花のように、「グイ、グイ」支え、持ち上げよう。大切な人生を、ね。
★写っていないが、左側に、もう1花釣り下がっている。全部で4つの月下美人だ。今夜の夜勤の職員さんに「デジカメ」を渡して、撮ってもらおう。これも楽しみだ。月下美人は事務室の前、玄関を入った所に置かれている。見事な花の写真が撮れると、いいなァ。

2019年7月10日水曜日

カエルは水で、母は火で。中学生たちに語った後の反省あり

月に1度、ホームの「礼拝の日」。毎朝、6時から教会でミサがあり、ホームの信徒たちも、祈っている。「礼拝の日」は、午前10時から、園長神父さんがミサを捧げて、普段はミサに来れない車椅子の信徒たちが、この日は教会で祈りが出来る。歩行器や車椅子の12人ほどが聖体を拝領した。私は、特に母のために祈った。
★中学生たちに「カエル」の話をしたとき、〆(しめ)の言葉を忘れていた。「お母さんカエルは、『水』に流されたが、私の母は、『火』の中で燃え尽きたのです」。これが話したかった肝心な所です。
★「原爆講話」を話した日、ホームに帰って、自室で、高原修道士さんと講話の意見を話し合った。高原さんは言う。「被爆の後、小崎さんは、どのように生きたのか、の質問が生徒からあった。トマさんは、その質問の答えを避けた。被爆の後からホームまでは、話しません、と断りを言っていたが、やはり言うべきでなかったか」
★実際を言えば、校長先生にも、平和学習の担当の先生にも「カトリック修道士」の身分は打ち明けたくなかった。結局は、新聞に「91歳の修道士」「修道院へ入り、修道士となる」と出たので、身分がバレルことになる。しかし中学生たちには、「カトリック」「修道士」など、宗教のことは出したくなかった。いろんな宗教の家族も居るだろう。気乗りがしなかったのが事実です。

★トマは、高原修道士に答えた。「被爆直後に、神学校に入って、修道士になった」とは言いたくない。短い時間だから理解してもらえない。私が原爆体験で感じたことは、私の人生の入口に過ぎない。トマにとって、生きるとは、もっと奥が深いんだ。
★『孤独と出会い』。孤独は分かるだろう。若くして両親を失い、兄弟も居ない。原爆孤児になった。『孤独』そのものだ。しかし沢山の『出会い』があって、良い出会いもあれば、悪い出会いもあった。良い出会いは、『つながり』がある。それは『愛と、イノチ』の、つながり。これが人生なんです。
★トマが経験した「原爆」には、もう1つの体験があった。それが「アウシュヴィッツ・ナチの強制収容所」だ。「原爆」と「アウシュヴィッツ」、これが私の中で、表裏一体になっている。「アウシュヴィッツ」も原爆と全く同じ状況だった。「助けない」「困難が来たら逃げた」「仇なる人間は許さない」。これは人間なら当然だ。許せない、赦せない。今の世の中は憎しみで一杯だ。そこに救いはない。希望もない。
★しかしアウシュヴィッツの悲惨な憎しみの場で生きたコルベ神父は、「みんなを助けた」「困難が有っても逃げなかった」「ナチの憎い行動まで赦した」。そこに人間としての希望があり、解決がある。『愛とイノチ』の真実がある。恨んで当然。憎んで当然。仕返ししても当然なのに、コルベ神父のような『ヒト』も実際に居る。そこに人間の弱さへの答えがある。人間の明るい希望、憎みを捨てる可能性、平和への未来がある。トマにしてみれば、そこまで体験を話さないと、人生の真実、総ては語れない。
★トマの体験は「原爆」と「アウシュヴィッツ」。2つが重なってくる。「生きるとは『孤独と出会い』、『愛とイノチ』、これが人生」。

2019年7月9日火曜日

中学生たちよ、親の幼少・若い頃の話を沢山聞け。人生の力になる

先日、中学生たちに話をした時に、次のことを強調した。それは親子の会話です。「もっと、お父さんやお母さんの幼少の頃、若い頃の事を、しっかり聞いておこう」
★私は7歳で、父親は病死。17歳で母親は、原爆死。だから父親や、母親の若い頃の事もを、よく覚えていない。そこで皆さんにお願いしたい。皆さんは両親とよく会話して、お父さん、お母さんの幼少の頃、どうだったのか。結婚した頃のこと、とにかく両親の事をよく聞いて、しっかり覚えていてください。中には、お父さんが居ない人、お母さんが居ない人が居るかも知れない。そういう人は、周りの人で、よく知っている人が必ずいる。その人たちに聞いてください。君たちが成長して、両親の幼少の頃や、若い頃の思い出は、大きな生活のチカラになります。会話が大事だよ。
★私は、本当に覚えていないので寂しいよ。幾つになっても、91歳になっても、46歳で逝った父。45歳で逝った母のこと、忘れない。どんな父だったのか、母は、なぜ父と縁があって結ばれたのか、全く分からない。人生は『つながり』なんだよ。それを意識すれば、君たちの人生の励みになる。
★中学生の質問に、「お母さんの思い出はありませんか」があった。その応答に、カエルの話をしたね。母から聞いた寓話だった。お母さんカエルと、子カエルが居てね。子供のカエルは母カエルの言う事を、いつも聞かない。勉強しなさい。遊びに行く。手伝いなさい。どこかへ隠れてしまう。山へ行け、と言えば、川に行く。川と言えば、山へ行く。子カエルは言う事を聞かないんだね。困った子カエルだよ。その内、お母さんカエルは歳をとって、病気になり、死ぬ時が近づいた。
★死んだら、どこに埋めてほしいか。安全な場所、山がいい。だが山と言えば、川に埋めるだろう。川と言えば、山になるだろう。反対ばかりの子だよ。そこで「子どものカエルよ、私が死んだら川の近くに埋めておくれ」と願った。お母さんが死んで、初めて、子カエルの目が開いた。「ああ、わたしが、わるかった。いつも反対ばかり、親に背いてばかりいた。ゴメンね」。子カエルは、正直者になって、お母さんを川のほとりに埋めたんだね。山に埋めてもらいたかったのに。大雨が降って、川の近くに埋めたお母さんのカラダが流される。それで雨が降ると、カエルが、鳴くんだよ。グヴァ、グヴァって、ね。
★親に反対する子供は、悲しい。いまの中学生たちは、両親に対して、どんな応対をしているのか。親が、子を殺し、子が親を殺す、悲しい世の中だよ。私には、中学生いが純真な目をパッチリ開いて、しっかり聞いているように感じた。

2019年7月8日月曜日

七夕のホームの願い事。健康、長生き、孫の幸せ、平和への祈り

ホームの「タナバタ」。玄関に飾られた。老人たちの願い事って、どんな思いだろう。独り身の人も居れば、子や孫が沢山の人もいる。でも、寂しさは、いっしょだ。「ああ、五島へ、帰りたか、のう」と、ため息をつく女性。ボクも、五島は懐かしい。
★どんな短冊が掛かっているのか。笹竹を覗いてみた。「病気が早く治りますように」「孫たちが、いつまでも元気で、幸せでありますように」「いつも、ありがとう、と言えますように」「足の痛みが、取れますように」「毎日を、楽しく、笑って、100歳、100歳」「あのヒトと、もっと仲良くなれますように」「願い事は何もありませんが、毎日、感謝しています」「ながいき、したい」「職員、みんなが、元気で、仲良く働けますように」
★そしてボクが書いたのもあった。「ホームで旅立った人びとが、天空の美しい星々になりますように」。3枚書いたが、2枚は高い所で隠れていた。
★家で、1人で住んで、外出も出来ず、自分でご飯をつくって、生活を守っている人は多いでしょう。そこには自由がある。「わがまま」が出来る。
★でも、ホームの生活も、いいモンですよ。カロリーを計算された食事をいただいて、「七夕」の日には、「おはぎ」も出ました。看護師さんも、お医者さんも居るし、介護は行き届いています。安心感がありますね。個室が、1軒の家になっている。狭いけれど、歳を重ねると、十分です。結局、人間は、最後は、介護が必要になる。「ニンゲン、オシメに始まって、オシメで終わる」。最後に残るのは、神への「祈り」です。
★過去を振り返れば、有能な人材だった仲間や友人が、若くして逝ってしまった。無能なボクは長生きする。「あの人は、生きている。存在だけ。しかし長生きする。この人は、存在感のある人、立派。だが、早く逝った。負けか。どっちが良いか。ボクには、わからん」

2019年7月7日日曜日

出たッ、7月誕生会の出し物。タナバタさまだよ、天の川だよ

7月の誕生会。「ハッピバスデイー」。おめでとう。この月に誕生日を迎える老人は、7人居た。園長神父さんのお祝いの言葉があり、例の如く、歌と拍手で、7人に小さな灯とお花とプレゼントが園長神父さんによって渡される。嬉しいよ。生きることは、お恵みだよ。いつまでも長生きしてほしい。人生、老いても、捨てたモンじゃ、ない。生きていることに価値がある。シワは増えても、輝きは、ある。
★さあ、さあ、お楽しみは、職員さんの恒例の出し物だね。3人が出るぞ。「なんの、オドリね」「タナバタさま」。星を持った、この女性職員さんが「役者」だからね。期待が持てるぞ。なにやら、青い線のタレ幕。天の川だそうだ。イメージは、あるよ。看護師さん、介護の職員さん。
★「入場します」。音楽が、なる。タナバタの音楽だよ。おサルのお面をかぶっている。拍手しているのは、栄養師さん。タナバタさんは、今の時期に合う季節だからね。乗りに乗って、皆さんは大喜びだよ。星を高くあげて、「踊るよ、おどる」。なんでも、いいよ。とにかく派手に動きまわる。それが受けるんだね。
★最後には、踊る者たちが、抱き合って、盛り上がる、モリあがる。こうなったら、どうでも、いいよ。最初に「役者」と言ったでしょう。抱きしめられたのは、看護師さんでした。拍手するのは、介護の職員さん。男子の職員さんは、カメラ・マンだよ。皆さんは、ハクシュ、ハクシュ、笑い。入居者の老人と、若い職員さんが一体となり、家族の気持ちになるのが、いちばん、いいホームなんです。「ヒト」ですよ。「愛情」ですよ。
★「ボクも、写してくれんね」。カメラ・マンの職員さんに頼んだ。「この、ノボセもん、が」。でも、フンイキだよ。おサルさんのメンをずらして、「ハイ、このポーズ」。顔が見えた方が、いいモンね。
★良い部屋に住んで、三食いただいて、昼食は誕生会だから、お刺身、長崎和牛の焼き肉、水まんじゅうも、あった。お祈りをして、神さまに感謝して、なにも心配はありません。ボクは、神さまを見ている。神さまも、ボクを見ておられる。導いて下さる。その流れに乗って、天の川のように、星々に、吸い込まれて行くのを感じます。すばらしい1日だった、きょうは。

2019年7月6日土曜日

中学校の「平和学習」講話は無事に終わった。夜は安眠した

地元の高来中学校、生徒数200人のための原爆の話は、これまでなく快調に行なわれた。立ったままの姿で、40分、やりとげた。最もまとまった講話になった。
★ホームから、知人ら、岩田事務長さん、明子さん、浜口整骨院の夫妻、津田さん、桜井さんの姿が見えた。
★中学生の印象は、体育館に200人が入場するのに、話声が全くなかった。床に全員が座り、しばらく、うつむいて、瞑目し、号令で、一同が「サッ」と上げた。「起立」と号令すれば、これ又「サッ」と立つ。教育が行き届いているな、の感じが胸にひびいた。「中学生たち、エライ」
★話す間、全員が「パッチリ」目をあけて、私の話に聞き入った。話易さで、嬉しかった。最後、話の締めは「人の痛みを分かる心を持つ」だが、「では小崎さんは、どのように実行したのですか?」の質問が、一番こたえる。人の痛みを自分はどうやって分かってきたか。91歳の老いになっても、迷いはある。それが人間だろう。弱さだろう。
★話終えての質問は、20分ほど続いた。代表男子生徒のお礼の言葉、女子生徒から花束を受けた。最後に私が先生に頼んだ。「全員で、何か、平和の歌か、歌いやすい歌を歌ってください」。しばらく先生方が相談していたが「高来中」の校歌を歌ってくれた。
★今朝の、「長崎新聞」です。新聞の上の場所に、大きく掲載してくれた。