2019年5月23日木曜日

「居場所」は有るか、「出番」は有るか。老人でも、やる気は有る

昨日の日記の顔と同じだが、修道服を着せたよ。こういう姿で、長崎・聖コルベ館では、巡礼者、観光客、見学者などを迎えたのだった。喜びがあったよ。出番も、あったよ。今は孤独だね。あの頃が懐かしい。華ある、いい時代だった。
★ホームでは、月に1度の「礼拝の日」がある。これは、日ごろ教会に来れない信徒や、宗教の異なる人でも、自由に教会に来れる日です。時間は午前10時から。園長神父さんのミサとお話があります。
★今朝、私は6時のミサに行きました。また10時のミサに行くのですか、ちょっと考えるようになった。普通に歩くのにも「決意」がいるのです。迷いが起こります。以前は、そうではなかったが、最近は動きたくないです。
★自室で考える。「Aの行為=ミサに行くこと」が、いいのか。「Bの行為=行かない方」が、いいのか。「そりゃ、やっぱり行く方が、いい」。朝も行ったが、皆さんと祈るのも、足並み揃えて、いい。まわりの人の励ましにもなる。
★修道服を着て、廊下に出たところに、男子の職員が「礼拝の日ですよ」と振れ回っていた。「チョッと、チョット」と止めて、デジカメで写してもらったのが、これです。
★最近、流行る(はやる)言葉に、老人の「おひとりさま」がある。隣近所や、周りの人や、社会からの「孤立」だね。よくテレビで告げている。それを考えると、修道服には固い「つながり」がある。イタリア・アシジの修道院に滞在しているベトナム人の神父さんが、休暇で帰省中で、ホームに面会に来た。この「つながり」が有るから、頼もしい。
★定年退職後の男性や、老いたる人には「居場所」がないそうだ。かわいそうだね。それに、老人になると、人のために尽くす行為がなくなる。それは確か。「出番」がない。テレビも「それが、いけない、ことですね」と言っていた。
★待てよ。オレには「出番」が有るかな。ある、ある、まだ、あるよ。出番は、あるよ。足りないのは、やる気だね。2番目のミサに出て祈るのも、「出番」の1つだよ。そう思えば、足取りも軽くなる。

1 件のコメント:

  1. 今日、友人宅で先月放送された
    登明さんのテレビ出演のビデオを
    拝見する事が出来ました(^.^)
    ブログでは、お声をお聞きする事が
    出来ませんけど、今日、初めて
    聞く事が出来ました!
    元気な良いお声でした(^_^)v
    もちろん、映像も良かったです。

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