教会では、聖マチア使徒の祝日をお祝いし、祈ります。
★「聖マチア」といえば、どうしても一緒に生活したポーランド人修道士・マチアさんを思い出します。昭和8年に長崎・聖母の騎士に来て、生涯、この地、この場所に留まって、94歳で神に召されました。だから終戦直後、ここに入ったトマとも、長い知り合いの状態がつづきます。トマが覚えているのは、マチアさんは、最初、院内で、牛を飼い、牛乳をしぼり、またパンを焼く仕事をしていた。マチアさんの「パン」は、大きなパンで、脇に抱えるほどあった。パン焼き小屋から、時どき、パンを炊事場のかシアノ修道士さんへ運ぶ手伝いをした。食べたら、本当に、おいしかったね。食料不足の時代でもあったしね。
★時代が変わって、パンも、牛乳も普及してくると、廃業して、今度は騎士誌を配る仕事についた。マチアさんの楽しみにもなった。教会でお祈りをして、騎士誌をカバンに詰めて、徒歩で国道をくだり、「蛍茶屋」から電車にゆられて、大浦へ。大浦天主堂の門前で、観光客に声をかけて、騎士誌を配った。「コルベ神父さま、クバリました。ゼノさん、クバリました。いまワタシ、クバリます。あなた、ホシイですか」。中には献金する人も居りました。時には、浦上へ。平和公園でもクバリました。
★大きな体格のマチアさん。聖母の騎士の食堂では、トマの隣の席にマチアさんが居た。いっしょに長年、食事を共にした。トマがポーランドへ旅行したとき、マチアさんの家族を訪ねた。家族の言葉も録音した。どうやら家族には内緒で、コルベ神父さまの修道院に入ったらしいのです。マチアさんは、家族の声を聞くのをイヤがった。もうポーランドの思い出は忘れているようにも感じ、好まない態度をはっきりと示した。
★今年の2月、ポーランド人修道者たちの「写真集」を出した時、次のような手紙が届いた。「今から40年前、修学旅行で、長崎へ行った時のことです。マチア修道士さまから騎士誌を頂きました。現在に至るまで、ずっと励まされ、支えられてきました。家庭の事情で教会へは行けなかったのですが、いつも祈っていました。最近、要理を学び、昨年、洗礼に与かることができました。写真集から、マチア修道士さまのあふれる笑顔を拝見し、懐かしさで胸が一杯になりました。遠い国ポーランドから宣教にいらしたコルベ神父さまと修道士さまたち、本当に、日本の私たちは、どれほど助けられたでしょう」(写真は、大浦天主堂の庭で、騎士誌を配っているマチアさん=手紙の人と関係はありません)
マチア修道士様の為にお祈り致します。
返信削除聖母の騎士誌を配布され種を蒔かれた花が時を経ても次々と花が咲いている事に感謝致します。