2019年4月16日火曜日

長崎へ。定期の診察。ホームには、工事の関係で変化がある

定期の診察へ。早朝から出かける。修道院で朝食。パン、牛乳、ミカン1こ。高原修道士の運転。長崎へ。高速を利用。長崎市のトンネルを抜けると、浦上川に出る。ごらんのように、川に何本かのツナが張られて、多くの鯉のぼりが吊るされていた。車から、シャッターを押す。
★浦上川では原爆の日、多くの市民が水を求めて、川に降りて亡くなった。原爆の灼熱で、皮膚が燃える痛みを感じる。ノドが乾く。「水を」「ミズを」と、川に落ちた。車から一瞬、その悲惨な思いがよぎる。「あの、鯉のぼりは、慰霊の意味も、あるのだろう」。老人には、そう思う。
★死んだ者は可哀そうだが、生きても様々な苦労があった。目的のクリニックには、9時前に着いた。看護師さんから「9番目です」と言われる。高原修道士は、聖母の騎士へ「ルルドの水」を汲みに車を走らせた。診察の後、血液を採取される。終わった頃に、高原修道士がクリニックに迎えにきた。10時だった。
★ホームを出る前、修道院でパンを食べたとき、濱田神父さんが「きょうは10時半から、浦上天主堂で、大司教さまと一緒に、司祭叙階、濱田神父さんのダイヤモンド祝、その他の司祭の金祝、銀祝のミサがある」と言った。ちょうど、浦上天主堂の道路を通ると、シスターたちの姿が何人も目についた。「やっぱり、浦上らしい、な」と思う。ミサ後、お祝いが、信徒会館で行なわれる。写真は浦上天主堂の石垣(原爆で焼ける)と、咲き始めた「つつじ」の花です。
★ホームに戻ったのは、11時過ぎだった。昼食から、エレベーター拡張工事で、食事は4か所に分かれて食べる。私は3階で、「雲仙の間」(雲仙岳が遠望できる)で、9人が居た。瀧神父さんは、1階で、別になった。寂しい。職員は、2階の炊事場から、階段を使って、9人分の食膳を挙げるのは大変だ。
★最近は、歩行器を使っているので、階段を下りて、教会へ行けるか、心配です。

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