2018年7月23日月曜日

ポーランドから電話。ゼノ修道士の映画が出来た喜び


3年前の5月だった。ポーランドから山平さんの家族がホームを訪ねた。奥さんは、イヴォナさん、娘は、百合香といった。写真家をしている。「ポーランドで、ゼノ修道士の映画を作りたい」と希望を明かした。私がポーランドの「赤カブのスープ」が好きだ、というと、イヴォナさんから、スープの元が送られてきた。
★2年前の9月、ポーランドから映画班がホームにやってきた。「ゼノさん」を取材・撮影して廻っている。ゼノ修道士さんを知っている人にインタヴィユーしている。ゼノ修道士は、私が17歳で原爆に会った後、聖母の騎士の門を叩いたとき、最初に受付に出てきたのが、ゼノ修道士だった。また修練中に病気になって療養していたとき、私の個室の隣はゼノさんの部屋で、日々交流があった。手紙や、願い事も聞いた。ゼノ修道士と、大浦の思い出の地を一緒に廻った。写真に収めた。
★昨日、夕食をすませて、自室で憩い、夕べのアンぜラスの鐘もなり、テレビを見てくつろいでいると、「電話です」と知らせがあった。電話の主は、ポーランドの山平さんからだった。「え?ポーランドから、ですか?」「そうです」「ポーランドは今、何時ですか?」「昼前、11時半です」。山平さんの事は忘れない。百合香ちゃんも覚えている。山平さんは言った。「ゼノ修道士の映画が完成しました。8月25日(土曜日)に、ホームへ参ります。映画をお見せします」。映画は、30分。ポーランド国外務省が資金を出した。(写真は、コルベ記念館・資料室に保存しているゼノ修道士のカバン、クツ。展示はしていない)
★ゼノ修道士は、ポーランドでは一般に知られている。ゼノさんの故郷、スロべ村には、ゼノさんが祈った教会があり、その傍に、ゼノ修道士の小さな記念館もあった。今は、どうなっているか。ゼノさんの映画が出来たことで、8月は、また楽しみが増えた。