もう10年前になる。聖コルベ館に、朝日新聞の記者が来て、「小崎さんの原爆体験やコルベ神父のことを記事、『ナガサキ・ノート』に書きたい」と言った。その記者の名前が「岡田玄・30歳」だった。記事は年末に始まり、正月も通して16回で終了した。岡田玄・記者は度々訪れて、満足する記事を書いてくれた。書くのが商売だけあって、記事もよくまとまっていた。岡田玄さんの名前は忘れなかった。
★朝日新聞の長崎局は、地方なので、岡田さんにとっては駆け出しの局だったらしい。その後、彼は九州の別の局に転勤となった。長年が経って、1度、朝日新聞の2、3頁の箇所に、かなり広い範囲の記事を書いたのを覚えている。なぜか「岡田玄(おかだ・げん)」は言いやすく、忘れない。彼の世話にもなっている。
★私は朝日新聞を取っているが、昨日の記事に「特派員メモ」があり、「岡田玄」の名前を見つけた。グアテマラに居るらしい。今は海外で活躍しているのかと思うと、「やるナァ、玄よ」と言いたくなる。その記事が又、面白かった。同僚のグアテマラ人のカメラマンが居て、彼は熱心なキリスト信者で、食事や取材に出るときは必ずお祈りをして、最後に「アーメン」と言う。火山の噴火の被災地に取材に行った。カメラマンは被災者たちの手をとって、祈り始める。「みなの魂が安らかでありますように」。この時は、ついつい岡田玄も、素直に「アーメン」と言ったそうだ。岡田玄は恐らく長崎の原爆のこと、カトリックの地・長崎を取材したことなど思い出したのであろう、と私は思った。新聞記者の岡田玄、今は40歳。カラダに気をつけて、がんばれよ。健筆を祈る。
★なお、岡田玄が書いた「ナガサキ・ノート」は、「小崎登明の部屋」を検索して、左側、上に「朝日新聞」の項がある。そこを検索すると出てきます。ごらんください。