両親、家族の墓は、黒崎教会墓地にある。昔は段々畑だった狭い場所を、信徒の墓地に造り変えた。家の墓地は石段の途中にあり、行くのが高齢者には危険です。助けてくれたのが松下修道士さんでした。松下さんの細やかな配慮が本当に嬉しい。支えられて外海行きをは果たした。
★墓地の次に行くのは、黒崎教会でしょう。赤レンガの堂々たる天主堂です。戦争中はアメリカ軍の空襲を避けるため、黒色に塗りつぶした。戦後、洗い流して、元の色を甦らせた。誇れる教会です。15歳の頃、しばらく黒崎の伯父の家で暮らした。毎朝、ミサに通った。女部屋の「あねさん」から要理を教えられた。信仰が深い、優しいあねさんでした。木に登って、要理を丸暗記した。戦時中、黒崎教会で堅信を受けた。教会下に、小さな川がある。「あそこで、よく泳いだよ」と松下さん。
★教会の中は、ごらんの通りです。こうもり傘天井、柱など、昔のままです。ただ、床は板張りだった。祈祷台はなかった。寒い冬など、床の冷たさは子供にも堪えた。
★教会の右側に、聖母の小祭壇がある。その聖母マリアと御子イエスのお姿に惚れた。子供の頃、眺めて、見とれた。お気に入りのご像です。17歳、原爆の後で、伯父の家で1ヶ月ほど療養した。被爆の症状があらわれ、皮膚に吹き出物がでて、周囲の人に気が引けた。17歳の少年は決心して、ある雨の日、黒崎の浜からポンポン船に乗って、長崎港へ。上陸すると真っ直ぐに聖母の騎士へ向かった。コルベ神父の小神学校へ入った。新しい人生が始まった。
★黒崎教会から出津に向かう。松下修道士さんが「『トマの日記』を見た。よく古い写真があったね。昭和30年代だろう」と言った。トマ「そう、30年代。あの場所は、どこだろう。橋が写っているから、教会の下の場所と思うが、階段が見えるのが、わからない」。松下修道士「あの場所は、ここら辺だよ」と撮ったのが、右の場所です。階段は、教会へ登る石段だった。この場所は「女部屋」があった。門の柱が2つ残っている。