ホームの隣、湯江教会の祭壇の生け花です。11月は死者の月で、ミサの後、祈祷書から「全ての死者のための祈り」を捧げている。死者を想うとき、引き出しの直ぐ手元に、1通の手紙がある。古い手紙で、昭和26年1月21日の「黒崎局」の消印が押されている。切手は8.00。(8円)だろうか。差出人は、黒崎の藤之助・伯父。
★藤之助伯父は、北朝鮮で、一緒に暮らした近い親戚だった。苦労しながら引き上げてくる。終戦1年後、長崎へ帰ってみると、頼りにしていた私は神学校に入っていた。最初は不機嫌だったが、私が決意を話すと、涙はいつしか笑いに変っていた。伯父は生涯独身で、生まれた黒崎の家の隣に小屋をもらって、晩年を過ごした。神学校の夏・冬の休みには、その家で伯父さんと暮らした。帰国して5年後の手紙になる。鉛筆で、ゴツゴツした字で3枚も書かれている。
★「玉、みがかれば、光、なし。人も、学びて後にこそ、真の徳はあらわるれ。これから一生懸命、真理を勉強して、真の徳、第一、謙遜の徳が出来て始めて、世の人を感化させる事が出来る。間もなく修練も終わり、いよいよ誓願式、是非、入れてもらわねばならんが、満が一、誓願に入る事が出来んでも、力、落とすな。騎士院には、お前の出来る仕事はある。武士は君前、討ち死にを名誉としたとの事。お前は二回も、大手術、死の直前にあひながら、生を受けて居るのだから、この世の幸に未練を残さず、聖母の騎士だ。何やらせて、もらっても、聖母の御馬前で、討ち死にせねば、ならん。伯父、イヤ、親子揃って、聖母マリア、聖ヨゼフ様によりすがり、聖母マリア様に手を引かれて、イエズス様のお後を、おしたい申そうぞ」
★この手紙は、一部分だが、その年の9月に、64歳で亡くなった。なぜ、この手紙を手元に置いているのか、わからない。手紙を貰った、その当時が私の人生で最も辛い時であった。藤之助伯父のために祈ろう。
伯父様のお手紙心に強く響きました。
返信削除小崎さんを甥ではなく我が子と思うお気持ち
が伝わりました。