2017年8月30日水曜日

しおれる人生、それでも新しい発見の日々は始まる

絵てがみ教室。先生が、画材に、レンコン、ウコン、ナスなどの野菜を持ってきた。サーッと、目に付いたのが、ホウズキだった。「ああ、これ、描くよ」。眺めながら、スケッチする。何度も、何度も見ていると、しおれて、枯れかかって、それでも、ふくらんでいるホウズキが、何だか老人に見えてきた。人も、こんなに、しおれて行くのかな。何だか寂しい。それで言葉を添えた。「老いから新たな人生、はじまる」
★長崎へ行く日。朝から、修道院でパン1個と牛乳を飲んで、朝食とする。ホームの朝食の時間はまだ遅い。高原修道士の運転で、長崎のクリニックへ診察へ出かける。待合室に人が少なく、昼食1時間前には帰った。お医者さんは「歩きなさい」というが、とても歩ける状態ではない。この先、どうなるか不安がある。「とにかく、今年一杯は、気力を失わない。努める」
★長崎のテレビから電話があった。五島の三井楽教会に、信者間では珍しい「岳踊り」があった。それに就いて教えて欲しい、という。1972年、カトリック・グラフの取材で「踊り」を見て写真に撮った。その写真がまた良く撮れている。あの踊りのことは忘れない。テレビによると、もう、踊りは中止になっているそうだ。思い出だけでも語って欲しい、との願いだった。
★外海から迫害を逃れて、五島へ渡ったが、三井楽の岳には牢屋があり、ここでもキリシタンの迫害が行なわれた。現地の人の話によると、「三十六人衆」が刀やムチの責め苦を受けた。迫害が解かれ、自由になって、先祖が受けた、刀や、ムチの責めを払い退けるために信徒たちは踊りを始めた。私が現地を訪ねて、その踊りを見たときは、すさまじい迫力があった。写真にも、その表情が表れている。
★その時の説明では、以前は、男と女と混じって踊っていたが、男が減って、女ばかりの踊りとなった。ハチ巻姿の、りりしい井出たち、はかま姿の男役が竹を2本、女は1本持って、自由になった喜びを敏しょうな踊りに託しながら、竹を前後で打ち合い、悪を払い退ける。カトリック信者だけの踊りとしては長崎では唯一のものだった。
★踊りを通して、先祖の苦難を忍び、その信仰に倣う祈りに似た踊りに感じられた。その踊りが最近は行なわれないとは残念に思う。1枚の写真は、教会の庭で、踊る姿は、逞しさと喜びを彷彿させる。
★ホウズキのように、しなびたトマだが、迫力ある写真を自分が撮ったのかと思うと、過去も大事にしたい念に駆けられた。

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