2017年8月26日土曜日

親友、故・久之の奥さんが来る。思い出は、つのる

きょう、職員さんから、自室に、棚を作ってもらった。本や封筒類を動かすうちに、水浦久之の「神父発見」が見つかった。「これは思い出になる。取って置かなければ」と、手元に残しておいた。すると奇遇じゃないですか、久之の奥さんが、きょう、ホームにやってきたのです。
★久しぶりの再会。写真は奥さんと握手したところです。久之は私の第1の親友だった。頼まれて、聖句入りのブドウの水墨画の掛け軸を描いてやったことがある。「まだ自宅に掛けて飾ってありますよ」と奥さんに言われて、「え?ほんとう」と嬉しくなった。実は私の部屋の2つ隣の部屋に、奥さんの兄さんが入居ししてきたのです。それで様子を見に来たと言う。
★久之の思い出話をする。最後はどうだったのか、初めて奥さんから聞いた。81歳だった。病院に入院していて、最後まで意識はしっかりしていた。最後の時を知ったのか、司祭の名前を告げて、告解を頼んだ。その後で、ベッドに座って、奥さんと2人きりになって、奥さんを、やさしく、見つめながら、ゆっくり、はっきりした声で、「愛、して、います」と最後の言葉を語ったという。それから間もなく、人生を終えた。
★「久之は、病気になったとき、『おおせのごとく、我になれかし』と書いてくれと頼まれた。彼が書いた字は今も大切に持っている。奥さんにそれを言うと、「飾ってあります」との返事。本当に、親友として、久之がボクを大事にしてくれたことを痛感した。
★彼、水浦久之の功績は、コンクリート造りであった浦上天主堂を、赤レンガ・スタイルに改装のための総監督を務めたことであろう。リッパに改装した浦上天主堂に、教皇さまをお迎えしたのであった。彼、久之の墓は、十字架と、「空の鳥」の字が書かれているだけである。空の鳥のように、神へと飛んで去ったのであろう。

1 件のコメント:

  1. 神様から任されたお仕事だったのでしょう。
    水浦さんのご本を読むといつも「神様のご計画」という思いがします。

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