昨日の話のつづきです。玄関で迎えた、肥喜里さんと、貴子さんを、「自室を見てください」と連れてきた。「狭い部屋で、すまんね」。ガラス戸を開けた風景に感激して、「あら、海も見えるよ。山も・・・」と喜んでくれた。
★話題は、やっぱり、ナヨさんのことです。諫早大水害。あれは酷かった。死者・行方不明者が、586人。有明海は、どろ海になった。海上で救助されたちき、ナヨさんに有ったものは、「マリアのメダイ」だけであった。メダイの有り難さを感じないことがあろうか。
★「マリアさまのメダイで、助かった。神さまから生かされた、いのちです」。助かったときは、31歳。ナヨさんの人生は、静かに、メダイを広めて配る信心者になった。助けられた1個のメダイは、最も大切に、自作の布に包み、紐をつけて首にさげていた。布は、よれよれになり、何度となく取り替えたが、メダイは輝いていた。
★ナヨさんも、貴子さんが言う「9の日」の祈りに参加していた。私も同席して祈ったことがある。10数人の家が集った。ロザリオを祈り、各人が、2,3人の自分の家の故人の霊名をあげて「我らの為に祈り給え」と応じるのが習慣だった。そういう祈りのなかに、浦上の土着した根深い信心を感じた。
★ナヨさんは晩年、体調を崩し、2011年11月、86歳で生涯をとじた。ふしぎのメダイといえば、ナヨさんを忘れない。「あの大切なメダイは、お棺に入れました。遺品を整理すると、沢山のメダイが残りました」と肥喜里さん。
★恵まれた日だったな、と胸が熱くなりつつ、2人を見送った。
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