長崎のカトリック修道士。17歳の時、原爆を受けて、この道に入る。 生かされて来た数々の恵みの中で、今年の1月、最大の試練「すい臓がん」を告知された。 「みむねの・ままに」。孤独と苦痛に耐え得るチカラを日々、祈る。 毎日、日記を書き続けて13年。今、長崎市の病院・ホスピス病棟で暮らす。 追記 2021年4月15日 午後6時48分 帰天されました。享年93歳
2016年4月28日木曜日
きょうも一日、無事に過ごしました。生かされ、感謝
湯江カトリック教会の祭壇・生け花です。いま、ロザリオを祈ってきました。大正生まれの女性も、押し車を頼りながら、祈りに来ていました。自分は朝のミサも、ロザリオも欠かしたことが、ないと言います。五島出身の、根からの信者です。これらの人を見ていると、感心するというか、降参します。信心が身についているのです。信仰している中で、喜びを感じ、悲しみも体験し、ここまで生かされてきたのでしょう。子どもも、おります。孫も、おります。信仰を守ってくれれば、それが幸せです。60数人、ホームの入居者がいるなかで、半分の30数人がカトリックです。信仰に恵まれたホームです、といえるでしょう。異なる宗教の人も、もちろん大切にされています。部屋からお経も聞こえます。他人のことは、いいけれど、お前はどうなのか。いつも反省して暮らしています。朝、ミサで祈り、午後からはロザリオを祈れば、何となく心が安らぐのです。5時15分から、夕食です。食事が終わると、「おやすみなさい」と挨拶をかわして、自室へ戻っていきます。歯をみがいて、部屋に座って、「教会の祈り・晩の祈り・寝る前の祈り」を唱えます。そのときが、修道会への「つながり」を自室で、一人でも、意識するときです。その後は、メモ程度の日記を書きます。手が振るって書けなくなると困ります。録画したテレビを見て、8時過ぎには、寝る準備にかかります。起床は、5時です。なんのために生きるのか。生きる意味はなにか。熱心に介護してくれるホームの若い職員さんたちを見ると、そういう疑問は湧きません。人は、生きていることが、尊いのです。お恵みです。それで、いいのです。
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