2016年1月20日水曜日

葬儀ミサに祈り、100歳女性の安息を願った

早朝、雪はやんでいた。ミサの後、高原修道士に、「行けるね?」と聞いた。「行けます」。朝食をすませての出発となる。ところが車を出してみると、パンクしていた。時間は経っていく。車を乗りかえて、何とか出た。しばらく、2人の間に、沈黙がつづいた。
★そこで、わたしは、亡くなった100歳女性とのご縁を、高校生のときからの話を語り始めた。「その後も度々お世話になったんです。それでも葬儀に行くか、迷っていた」と、ふがいない心のうちを打ち明けた。車は、高速道路を順調に走った。
★充分、余裕のある時間に、佐世保の教会に到着し、安心した。お棺はお通夜の会場から、まだ教会に来られていなかった。
★まずは主任司祭へご挨拶をしよう。これが、わたしの手法です。2人は修道服を着けて、司祭館のベルを押した。神父さんが出てこられて、スリッパを差し出され、司祭館で、神父さんの手厚い接待をうける。神父さんは、信徒と共に、ホームの100歳女性を度々訪問し、ご聖体を授けてくださった。お礼をのべる。感謝の意味もこめて、「よかったら使ってください」と、日本26聖人のDVDをお渡しした。神父さんは喜ばれた。
★お棺と、遺族がこられて、教会へ入り、お悔やみを申した。係の女性から、「書簡を読むように」頼まれる。追悼ミサが始まり、パイプ・オルガンで追悼の聖歌が唄われる。高原修道士が書簡の読み役を果たした。悲しい「あの人」とのお別れだった。長年の歴史が消えたように感じた。
★帰りの車の中で、ほんとうに来て、「よかった」と、心が安堵し、気持ちが抜けた感じがした。

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