朝、ミサの前に、「毎日のミサ」を開くと、きょうは、任意で、聖ヨハネ・パウロ二世教皇の日になっていた。普通、聖人のお祝い日は、天国への凱旋の日になっているのに、なぜ、教皇さまは違うんだろう。2005年4月2日、神のいつくしみの主日に、ローマで死去。それを見て、パパさまは、いい日に神に召された。ポーランド・クラクフ郊外に、神のいつくしみの修道院がある。2回、参詣した。示現をうけたシスターは教皇さまによって聖女にあげられた。神のいつくしみの主日を決めたのも、教皇さまだった。その前日に、神の御許に凱旋された。
★日にちに、こだわる心が動いた。ゼノ修道士が召されたのは、長崎上陸の日だった。コルベ神父は、聖母マリアの被昇天祭の前日だった。知っている従姉のシスターは、ルルドの聖母マリアが大好きだったが、シスターはルルドの聖母の日に亡くなった。
★教皇ヨハネ・パウロ二世は長崎へ巡礼されて、ポーランド人の修道者たちを喜ばせた。故人になったセルギウス修道士はそのとき叫んだ。「ポーランド人に、こんな偉い人がいるんだな」。教皇さまは長崎で、「戦争は人間の仕業です」と言われ、平和を宣言された。
★先日、ホームで、古い映画「カロル」を見たが、教皇さまも青年時代、大きな戦争の渦に巻き込まれ、よくぞ生き抜かれたと感動した。
★パパさまから、アタマを撫でられた、あの日の恵みは忘れない。
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