狭い自室。隅っこに、パソコンを置いている隣は、サッシ戸になっている。戸を開けると、この景色です。すぐ目の前に、小学校があり、子どもの声がしょっちゅう聞こえる。遠くに、かすむのが雲仙岳と有明海です。眺めが、いいでしょう。大きな呼吸をすれば、気持ちも、一息つくことができる。
★ミゲルさんの貴重なコメントを読みました。ルルドのマリアさまのお恵み、いただいて、良かったですね。「巡礼とは、何ですか?」の問いかけ。難しいと今日は考えました。
★最近は、もう旅をしなくなった。それまで、旅とは、何んだろう?と考えたとき、いつも言っていたのは、次の3つです。①本物を見ること。実際に、その場所へ行って、本物に触れる。次は、②地元の人との出会いを大切にする。これは大きな収穫でしょう。そして、旅を体験することによって、やはり③自分を変える。生き方の反省もあるでしょう。そんなふうに旅をとらえていました。
★ところで、「巡礼とは、なんでしょうか?」。言われてみれば、すぐに返答はできません。巡礼といえば、すぐアタマに浮かぶのは、島の小さな教会から、外国の大きな、荘厳な教会を見て、驚いたこと、感動することの体験が、湧き出てきます。現地には歴史もありますからね。しかし、ただ単に、教会や殉教地を数えて回って感動することだけが巡礼ではないでしょう。アウシュヴィッツを訪ねたとき、本当に、人間とは何か、を考えました。ポーランドで、地元の人たちとの出会ったとき、愛をみつけたとき、信仰の体験があれば、良い巡礼だったと、今も思っています。
登明さま
返信削除おはようございます。
聖母の騎士で登明さまの文章を拝見する機会がなくなり、とても残念に思っております。でも、こうして日々考えておられることを読ませていただくことは有難い恵みです。体験されたことを文章にして確認し、考えるということを長年続けてこられた方の言葉には確信を伴う叡智がありますね。旅とは①本物を見ること。実際に、その場所へ行って、本物に触れる。次は、②地元の人との出会いを大切にする。これは大きな収穫でしょう。そして、旅を体験することによって、やはり③自分を変える。生き方の反省もある。的確ですね。巡礼に関してもそうです。ただ単に、教会や殉教地を数えて回って感動することだけが巡礼ではないでしょう・・・その通りです。どんなに小さくても自分の体験を信仰につなげることがあったなら大きな収穫だと思います。いつもありがとうございます。
巡礼とはお恵みだと思います。
返信削除長崎を巡礼したとき、ポーランドを巡礼したとき、
教会がない場所でも祈りのうちに歩いたとき。
その場所での教会や景色、人々との触れ合いをとおして、また、自分が感じたことをとおして、普段の生活に戻ったときにその時のことを思い出して温かい気持ちになります。
また、困難なことに出会ったときに、巡礼でのできごとが
私を包んでくれて大丈夫と思わせてくれるのです。
まさにお恵みです。巡礼は愛かもしれません。
行かれるようになったら、まっさきにトマさんのところに
巡礼に行きたいと思います。