きょうは長崎・原爆の日。多くの人がテレビで、70年前のこの日を想い、涙している。わたしも母を失った。
★今年の4月末のある日、わたしの所に、「トマさんのことば」というタイトルで、1冊の、手作りの小さな本が送られてきた。ミキさんと、サトシさんからの、34ページの本です。いま、それを開いて、14・15ページを見ると、母の写真と、小さな字で、言葉があった。「あなたがイキを吹き込むと、人は生きるものとなる。かあちゃん、行ってくるケンな」
★いま、母の写真をジーッと見つめながら、この言葉をかみ締めている。あの朝、いっしょに朝食を食べて、わたしは出かけた。17歳だった。魚雷工場で、工員として働いていた。家を出るとき、「かあちゃん、行ってくるケンな」。確かに、そう言った。母は、返事をしてくれなかった。家の外に出て、もう1度、「かあちゃん、行ってくるケンな」。母の声はなく、にっこり、ほほえんでくれたのが母を見た最後になった。原爆の日は、母の写真をジーッと見つめていたい。
★かあちゃん、オレ、7歳で、父ちゃん病気で亡くなっただろう。1人っ子、かあちゃんに、あまえて育った。17歳で、かあちゃんと別れて、孤独になった。そして、いまホームで孤独だよ。かあちゃんの歳の、2倍近く生きたけどね。
★ミキさんも、サトシさんも、よくぞ、この言葉を選んでくださった。ありがとう。
saide
ナガサキの日の11時2分、
返信削除例年のようにお祈りを捧げました。
人を戦争の道具としてしか見なかった日本、
その挙句世界史に例のない大量虐殺である原爆。
命を返して欲しい。
いま日本は米国におもねて戦争に加担しようとし
国民の命を戦争の道具にしようとしています。
戦争反対の意志を表明しなくては亡くなられた方々の死はただの犬死となってしまいます。
70回目ですね。
返信削除今の若い世代は原爆投下日はおろか、日米が戦争をしていたことすら知らなかったりします。
彼らに平和への願いを届けるにはどうしたらいいのか。
戦争中でも楽しいこと、笑うようなことはあったでしょう。トマさんの御母堂がニッコリ笑って送り出してくれたように。
そこらへんが接点になるのではないか。漠然とそんなことを考えています。
毎年この時期はテレビを見ては泣き、新聞を読んでは泣き、人と話していても涙が流れることの多い日々が続きます。
返信削除トマさんのご母堂の写真と、お書きになったこのブログを読んで、またまた涙を流しました。
しかし、トマさんは孤独ではありませんよね。皆さんに愛され、大切にされ、尊敬されておられます。
私のように最近トマさんと出会ったばかりですが、大きな影響を受け、尊敬している東京の「トマさんファン」もここにいます。
私は生後2ヶ月半で長崎原爆を両親と共に受け、母を2ヶ月後に、父を1年半後に亡くしました。
トマさんを見習って、ここ東京で原爆被爆体験伝承者として活動しながら平和の大切さを伝えて行きたいと、この時期に改めて心を新たにしています。
トマさんに出会えたことを感謝しています。