長崎のカトリック修道士。17歳の時、原爆を受けて、この道に入る。 生かされて来た数々の恵みの中で、今年の1月、最大の試練「すい臓がん」を告知された。 「みむねの・ままに」。孤独と苦痛に耐え得るチカラを日々、祈る。 毎日、日記を書き続けて13年。今、長崎市の病院・ホスピス病棟で暮らす。 追記 2021年4月15日 午後6時48分 帰天されました。享年93歳
2015年6月20日土曜日
久しぶりの明子さん。旅行に出かけておりました
しばらく見えなかった明子さんが、久しぶりに来られた。ご主人の1周忌は、6月4日でした。その翌日、お墓参りに行ったときの写真です。お墓は、ホームの坂をくだって、集落から、少し坂を登ると、墓地がある。車で、数分のところです。明子さんの自宅の近くでもある。毎日、欠かすことなく、お墓参りをつづけているという。十字架と、「絆」の字。家族のキズナを大切にする気持ちが刻まれている。椿も彫られていた。椿原は忘れることの出来ない職場の名前だった。先生を偲び、冥福をお祈りする。次の日曜日には、ご家族が湯江教会に集まって、年忌のミサでお祈りをした。ブログにも、写真を載せている。その後、明子さんは旅行へ出かけていた、と聞いていた。その明子さんが久しぶりに戻って来て、自室で旅行の話をいっぱい聞かせてくれた。★急に、パソコンの画面に、青いバックに英語の文字が沢山ならんで、機能しなくなった。日記が書けなくなるか、心配した。男性職員が修復してくれる。昨日は、213人がブログを見ていてくれた。「ホームで、どんな生活をしているのか」「からだは、大丈夫なのか」「気持ちは、どうなのか」「修道士の身分を意識し、守っているのか」。課題意識は持っております。すぐには、単純に、本心で、即答は、出来ないところであります。
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