長崎のカトリック修道士。17歳の時、原爆を受けて、この道に入る。 生かされて来た数々の恵みの中で、今年の1月、最大の試練「すい臓がん」を告知された。 「みむねの・ままに」。孤独と苦痛に耐え得るチカラを日々、祈る。 毎日、日記を書き続けて13年。今、長崎市の病院・ホスピス病棟で暮らす。 追記 2021年4月15日 午後6時48分 帰天されました。享年93歳
2015年5月29日金曜日
生かされているのが基本だが、生きる負の荷もある
朝食が終わると、すぐ入浴があった。介護のヘルパーさんの世話になる。お手数かけて、すみません。風呂に入ると、自室は風通しがいいので、つい、うと、うとと、眠たくなる。★午前中、園内の廊下を散歩する習慣だ。1階と2階を回れば、結構な歩数になる。廊下の途中にソファーがあって、新聞、雑誌が置いてある。時には、近くの部屋の女性たちと話し込むこともある。一番の高齢者は、98歳のカトリックの女性で、足腰しっかりしていると聞いた。うらやましい限りです。★自室に戻ってから、パソコンに向かう。午前中に、何かを書きたい。昨年の今頃は、何を書いているのか、長崎の白浜さんが届けてくれた「トマさんの日記」(「A4」紙に起こしてファイルに収めている)を開けてみた。いつぞや、鹿児島から長崎へ来たついでに、ホームに訪ねてきた女性がいたが、ちょうど1年前の5月に聖コルベ館にも来ていた。そのとき女性が言うには、今でも覚えている。「神は愛である。この言葉が好きです」。しっかり、強調していた。★「神は愛なり」と言えば、昨日の日記に、大槻霊父のバラを載せたが、思い出した。聖コルベ館に、この教団の信者が巡礼に来ると、彼らの一行は、「コルベ神父の居室」に入り、祈りを始める。その後、皆さんが一体となって、「神は愛なり」「神は愛なり」と唱えだし、それだけの言葉で、ますます声が高潮し、涙も混じるような、大きな信仰の体験となるのだった。信仰の感動は、こうした積極性にあるのかも知れない。「神は、愛なり」。深い言葉です。言い易くて、悟り難い。きょうは午前中に、そんなことを考えた。信仰の基本ですが、わかるには特別なお恵みがいります。
今日はトマさん。午前中に書いて下さったのですね。私は病院でした。「神は愛なり」本当にこれが分かるのに、今の年月がかかり、未だ時々神様の愛の深さも分からず、許されて愛される喜びも忘れて嘆き悲しむこともあります。大勢の患者さんの中で、人の力には限界がありますが、又、不思議もありますので、ロザリオの祈りと共に、病院で過ごしました。限りある命の中で、トマさんにも出会い感謝です。ルチア
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