長崎のカトリック修道士。17歳の時、原爆を受けて、この道に入る。 生かされて来た数々の恵みの中で、今年の1月、最大の試練「すい臓がん」を告知された。 「みむねの・ままに」。孤独と苦痛に耐え得るチカラを日々、祈る。 毎日、日記を書き続けて13年。今、長崎市の病院・ホスピス病棟で暮らす。 追記 2021年4月15日 午後6時48分 帰天されました。享年93歳
2015年5月27日水曜日
聖母の騎士アンネのバラ」ものがたり。平和バラの花
2日前に、アンネのバラを載せたところ、ルチアさんからコメントが入っていた。「聖母の騎士から戴いたアンネのバラは、実家に、見事な大木になっている。きれいに沢山の花を咲かせている。亡くなった父が、ていねいに育てたバラです」と教えてくれて、ありがとう。聖母の騎士のアンネのバラは、モトを正せば、アンネのお父さん、オットー氏(91歳で、1979年に亡くなった)から、いただいたバラということになります。そのいきさつをお教えしましょう。★京都の大槻霊父夫妻(写真・右)は、1980年前後の頃、コルベ神父を慕って、度々、長崎・聖母の騎士に巡礼に来ていました。大槻霊父は、キリスト教団『聖イエス会』の創立者です。京都に本部や神学校がある。その場所を訪ねました。1982年頃です。大槻霊父の部屋には、無原罪の聖母マリア像が置かれていた。帰りしなに戴いたのが、バラの苗です。「コルベ師の庭に植えてください」。アンネのバラでした。★1971年頃、教団の合唱団が渡欧コンサート旅行の際に、イスラエルのレストランで、偶然に、アンネのお父さん、オットー氏に出会って、苗木をいたく約束をした。大槻霊父は言われる。「1ヶ月以上の輸送のため、苗木は褐色化して枯死寸前だったのです。それが10株のうち、1本が奇跡的に甦り、見事なバラが咲きました。日によって色が黄金色からピンク、紫と変化し、甘い香りを漂わせます。アンネのいのちの再現、犠牲の花ですよ」。小さな英雄アンネも、愛の聖者コルベ師も、アウシュヴィッツで多くの苦しみを受けた。平和を願い、戦争を憎む少女のこころも、偉大なコルベ神父のこころも、根底は同じです、と大槻先生は強調していた。「愛に死ぬのは、誰にでも出来ることではない。十字架のキリストに生きることによって可能となる。わたしは教団の信者に、聖母の騎士巡礼を勧めています」
こんにちはトマさん!毎日有難うね。アンネフランクの本を読んだとき、初めて戦争の恐ろしさ、人間の残酷さを実感させられました。夢中で読みました!息つく間もない程に・・・色々な人生がありますが、アンネの花が世界の平和を心から願うかのように見えて、嬉しかったのです。本河内のルルドへ行けるのは喜びでしたから、そこに、コルベ神父様の教会にその花があったことも、大きな感謝でした!何も出来ないではなく・・平和の道具にして下さいと。祈りねがう気持ちに、神様が微笑みますね。感謝です。ルチア
返信削除大槻ファーザー、懐かしいですね。末吉神父様もお若いですね。私は聖イエス会に通っていました。結婚式も聖イエス会でした。ですが、洗礼は赤羽教会でした。私がわざわざ赤羽を選んだわけではなく、偶然でした。そんなご縁でフランシスコ中村さんからお電話を頂いたこともありました。大槻ファーザー、末吉神父様、フランシスコ中村さん、皆さん帰天されましたね。さみしいです。
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