長崎のカトリック修道士。17歳の時、原爆を受けて、この道に入る。 生かされて来た数々の恵みの中で、今年の1月、最大の試練「すい臓がん」を告知された。 「みむねの・ままに」。孤独と苦痛に耐え得るチカラを日々、祈る。 毎日、日記を書き続けて13年。今、長崎市の病院・ホスピス病棟で暮らす。 追記 2021年4月15日 午後6時48分 帰天されました。享年93歳
2015年5月25日月曜日
バラが咲いた、の歌から、アンネのバラを想い出した
園内放送で、「コールスがあります。集まってください」。結構な人が集まった。タオルを使っての軽い体操から始まった。「もし、もしカメよ」の歌に合わせて体を動かす。タオルにも、いろんな使い方がある。次は、コールスといっても、思い思いに声を出して、歌えばいいのです。来月は、父の日がくる。なにやら出し物もあるようです。それにちなんでか、「バラが咲いた」を歌いましょう。それから「茶摘の歌」。次は、「皆さん、幸せですか?」と呼びかけた。すると、「ハイ、幸せです」と、即答があったのが、よかった。「では、幸せなら・・・手をたたこう。肩たたこう。足ならそう。両・隣の人と、両手を結びましょう」。皆さんは楽しそうに、励んでいた。中間に、ヤクルトのおやつも出るので、人気もあります。約40分の集会でした。★自室に入って、パソコンに向かった。何を書こうか。「バラが咲いた」を歌ったね。そう、「アンネのバラ」を思い出した。アンネのバラは、黄色から、ピンク、赤色と、色がかわる魅力のバラです。長崎・聖母の騎士のルルドへ登る、ロザリオの玄義に植えたバラです。歴史は古く、1982年に写したバラの写真です。今でも、当時の経緯(いきさつ)を書いた資料を集めたアルバムを持っております。
トマさん今日は。アンネのバラは、実家に見事な大木になり、綺麗に沢山花を咲かせます。去年亡くなった父が丁寧に育てました。勿論聖母の騎士から頂いた物です!ルルドへ姉妹を誘い行った時に、小分けしてさし木した苗を戴きました。姉妹の家にもあります。私のベランダには、今にも咲きそうなアンネのバラのつぼみがあります。祈りの花ですね。平和を!アンネフランクのアウシュビッツの思いを、忘れないように。体を動かし、歌い笑い多くの方に接しながら、素晴らしい老後に感じます。肉体は誰でも病み衰えますからね。頂いた命の輝きを大切に。今日もありがとうございました。ルチア
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