長崎のカトリック修道士。17歳の時、原爆を受けて、この道に入る。 生かされて来た数々の恵みの中で、今年の1月、最大の試練「すい臓がん」を告知された。 「みむねの・ままに」。孤独と苦痛に耐え得るチカラを日々、祈る。 毎日、日記を書き続けて13年。今、長崎市の病院・ホスピス病棟で暮らす。 追記 2021年4月15日 午後6時48分 帰天されました。享年93歳
2015年3月14日土曜日
今朝の西日本新聞に、ドカンと、記事が出た。おどろき
西日本新聞の記者から電話があって、取材に来ても、いいか、と申し出があったのが、2ヶ月ほど前の1月20日、火曜日だった。「いまさら何だね。主題は何ですか?」。記者は言う。「今年は原爆70周年、それに信徒発見150年にも当たる。どのように、つなぐか、お聞きしたい」。もう、一線を引いた気持ちだし、ホームに居るから、「出たくありませんね」「お話しすることも普通です」「適当な人をみつけてください」。それで断り、電話を切った。★2月に入って、15日に、ポーランド人の神父さんがホームに訪ねてきて、「教会で、どうしても話をしてほしい」と頼んだ。これも最初は、真剣に「イヤです」「かんべんしてください」「話せる身分じゃ、ない」と一徹して、断った。でも、「どうしても・・・」と、神父さんが1歩も引かない。とうとう根負けして、教会へ行く約束をしてしまった。★その辺りから、心に異変がおこったのです。そこで、2月21日、新聞記者に携帯で電話をしてみた。最初は、出ない。数時間が経って、記者から電話がきた。「どうですか?適当な人が見つかりましたか」。もし、よろしければ、来てみませんか。「ハイ、ぜひとも行きます」という。3月6日、金曜日だった。午後1時、記者が自室に入ってきた。話すことは決まっているのです。ただ、70年と、150年を、どう合わせるか。これが難しい。あたまに浮かんだ答えは、コルベ神父が長崎に初めて上陸して、まっさきに信徒発見のサンタ・マリア像に導かれたこと、これはコルベ神父のマリア信心に由来する。原爆も、アウシュヴィッツも、サンタ・マリア(平和を祈る)につながっている、そんな気持ちがするのです。★今朝の西日本新聞をみて、1ページ半分上の大きさで、掲載されているのを見て、びっくり、おどろきました。
神様が小崎さんに与えられたお仕事です。
返信削除コルベ神父様のサンタ・マリアは
終戦70年、信徒発見150年に繋がっているのですね。
仕事は終わらない。
返信削除ホームにいても、修道院にいても、コルベ館にあっても、病床にあってもどれも小崎さん。
ずーっと第一線。引退はない。職業が修道士なのではなくて生き方が修道士。
健康の許す限り、私達の近くでいろんな第一線で今だからこそできる仕事で私達を応援してください。
この記事は小崎さんをおいて適任者はなかった。
たまさんのコメントに感動しました。この言葉に尽きると思います。助ける、逃げない、許す・・・深いテーマです。
返信削除マリア・フランチェスカさん、たまさんの
返信削除おっしゃる通りだと思います。
このお話は、小崎修道士様だから伺えるのだと
思います。