長崎のカトリック修道士。17歳の時、原爆を受けて、この道に入る。 生かされて来た数々の恵みの中で、今年の1月、最大の試練「すい臓がん」を告知された。 「みむねの・ままに」。孤独と苦痛に耐え得るチカラを日々、祈る。 毎日、日記を書き続けて13年。今、長崎市の病院・ホスピス病棟で暮らす。 追記 2021年4月15日 午後6時48分 帰天されました。享年93歳
2015年2月27日金曜日
大阪の高校生・田川幸一がホームに面会にきた
いっしょの名前の若者が、訪ねてくるなんて、おもしろいですね。興味があることです。この若者が、そう、なんです。★話は10年ほど前にさかのぼる。大阪のある母親が、息子の名前「田川幸一」を検索していたら、小崎登明の本名が、田川幸一であることを知った。自分たちもカトリック信者である。それで母親と、息子と、姉が長崎の聖コルベ館へ訪ねてきた。幸一君が、小学生のときだった。親しみを感じて、それから交流がはじまった。★夏休みに、2、3度、長崎へくる。中学の修学旅行は長崎だった。高校になると、1人で長崎へきた。小さなドライブも楽しんだ。大阪の彼らの家へ行ったこともある。早いモンですね。あれから10年だよ。午後、電話が入った。「大阪の田川です。今から面会にきて、いいですか」「いま、どこに居るの?」「長崎です」「え?」「受験で、きました」「今日は、遅くなるから、あした、きなさい」。さっそく、次の日、長崎を出て、9時半には、ホームに着いた。「早ーや」。自室で語った、そのときの彼です。「大学は、長崎がいいかなあ、と思って、受験にきました」「なんで、また、長崎?」「なんとなく、長崎です」。田川幸一同士、いろいろ交流もあったからで、ないですか。「長崎へ来るなら、楽しみが、また増えるな」。気さくな感じの若者だった。友達も、すぐ出来るという。★「歳は?」「17歳。誕生日が3月22日で、18歳」。17歳の夏を思い出した。こちらは戦争、原爆、世の中は、すっかり変わっている。ただ、ただ、幸せになってほしいと願った。いまから挑戦が始まるんだな。玄関で別れるとき、彼は携帯で、2人の写真を撮った。「母に、見せます」。夕方の飛行機で、大阪へ帰った。「きょうは、ほんとに、いい日だったよ」★今年の年賀状。「よろしくお願いします。長崎の小崎登明です。体力を考えて、ホームへ入居しました。本名の田川幸一を使っています。元気でおります」
大学を長崎に選ぶ!!これはなかなか面白くなってきましたね。お二人の田川幸一さまのこれからを楽しみにしています。
返信削除いろんな不思議な出会いがあるものです。神様の計らいはかぎりなく生涯わたしはその中で生きる~~を思い出します。
田川幸一君と再会できたのですね~(^-^)
返信削除私までワクワクします。
長崎の大学を受験してくれること本当に嬉しいですね。