整理していると、1枚の新聞の切抜きが見つかった。原爆後の浦上の写真である。手前は、旧・浦上天主堂の残骸と、左側に、仮の聖堂。前方の山は、岩屋山。キリシタンが、あの山に登って、樫山の方角を見て、祈った。「3度登れば、1度、樫山に行く。3度、樫山へ行くと、1度、ローマへ行く」。あこがれて、祈った。中央、付近の町は、まだ復興していない。来年は被爆70年になる。★被爆の体験から、原爆の丘に生きたとき、反省したことは、「助ける人に、なりなさい」「困難が来ても、逃げない人に、なりなさい」「許す人に、なりなさい」だった。そのように思って、「平和は、人のこころに愛の花を沢山、咲かせたときに来る」と、締めくくっていた。だが、言葉は言うは簡単だが、実際、現実は難しい。核廃絶は被爆者の念願だが、平和はなお遠い。いま、ホームに居て、助ける人、逃げない人、許す人、3つのうち、人に語ることは、ないが、「逃げない人に、なりなさい」。ひそかに思いつづけている。
小崎さん、貴重な資料ですね。
返信削除来年は被爆70年、平和を願います。
そして信徒発見150年でもありますね。
み摂理でしょうか。
「逃げない」は本当に厳しく難しいです。
助ける、人を許すも
コルベ神父様は実践なさいました。
殉教なさった方々、旅に出された方々も。