長崎のカトリック修道士。17歳の時、原爆を受けて、この道に入る。 生かされて来た数々の恵みの中で、今年の1月、最大の試練「すい臓がん」を告知された。 「みむねの・ままに」。孤独と苦痛に耐え得るチカラを日々、祈る。 毎日、日記を書き続けて13年。今、長崎市の病院・ホスピス病棟で暮らす。 追記 2021年4月15日 午後6時48分 帰天されました。享年93歳
2014年8月4日月曜日
ふと思った。故人の先生。遺志を引き継いでいる。
★ミサのとき、今日の聖人、聖ヴィアンネー司祭を祝いました。18世紀のフランスの小さな村、アルスの主任司祭です。ジャガイモ数個で生活し、信者たちを内的に指導して、大きな成果を与えました。なぜか、ヴィアンネーと聞くと、昔、お世話になった田川初治先生を思い出すのです。★人の一生って、いろんな人から影響をうけて育つんですね。田川先生も忘れない恩人です。田川先生は、山里小学校の教師だった。原爆にあい、家族を失った。浦上信徒の中心人物だった。親友に、永井隆先生が居た。田川先生は、童話を語る人、作家、映画・日本26聖人の弁士でもあった。★先生から注目されて、童話を習い、カツ弁を教えられた。伝わるんですね。口調も、心情も、ふしぎなもんです。なぜ、ヴィアンネーかって?田川先生の洗礼名が、それだった。あるいは、原爆死した息子の洗礼名が、それだったのか。よく覚えないが、つながりが、あった。思い出す、ヴアンネー。それで覚えているんです。★田川先生は、騎士誌に毎号、親しみやすい実話の記事を書いた。それらの思いを、引き継いでいるのかも、知れない。親友の永井隆先生(原爆・医師)が亡くなられたとき、騎士誌に記事を書いた。田川初治先生は、大阪で、亡くなられた。きょう1日、田川先生を思いながら、過ごします。祈ります。
神様のご縁、つながるご縁、本当に不思議ですね。ありがたさをしみじみと感じます。猛暑と大雨の夏ですが、小崎修道士さまには、くれぐれもおだいじにおすごしあそばされますよう、お祈り申し上げております。 茨城の空
返信削除祖父のために祈ってくださってありがとうございました^^ ヴィアンネは、原爆で祖父にただ一人残された息子(私の父)の霊名です。
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