長崎のカトリック修道士。17歳の時、原爆を受けて、この道に入る。 生かされて来た数々の恵みの中で、今年の1月、最大の試練「すい臓がん」を告知された。 「みむねの・ままに」。孤独と苦痛に耐え得るチカラを日々、祈る。 毎日、日記を書き続けて13年。今、長崎市の病院・ホスピス病棟で暮らす。 追記 2021年4月15日 午後6時48分 帰天されました。享年93歳
2014年7月4日金曜日
トークに自信が持てた、夕べの会食。元気が出た。
★長崎から見れば、鳥取は、やはり風土が違いますね。日本海の風は、北朝鮮の記憶から、冷たい感じがします。鳥取、最後の夜に、お別れに、9人が集まった。主任神父さんも居られた。鳥取の皆さんは、長崎に、また長崎の修道士に興味があるんですね。長崎で、普通に知っている知識や経験談でも、鳥取の皆さんは、とにかく、よく反応して、笑いつつ、声をあげつつ、聞いてくれた。話・甲斐がありました。トークにも、ちょっと自信が持てた感じでした。★どんな話がもてたか、って?新築の大浦天主堂を、初めて訪ねた浦上の姉妹に、プチジャン神父が、「名は、なんと申す?」「ゆり、てる、と申します」「イヤ、イヤ、ほかの名があるはず?」「イザベリナと、クララと、申します」。プチジャン神父はたいそう喜んで、「ホウビにあげます」と、イザベリナ・ゆりには、ロザリオを、クララ・てるには、小指ほどの銀のマリア像をくださった。クララ・てるは、その後、迫害にあって津和野へ流され、苦労をしたが、マリア像を髪の中にかくして、祈りつつ、耐えて、迫害は終わった。役人に、「ホレ、ホレ、このマリアさまが守ってくださった。知らん、やった、ろーが」と見せびらかした。残念、クララ・てるの子孫は、銀のマリア像を紛失して、悲しんでいる。★こんな話、あんな話で、会食は、3時間、盛り上がった。鳥取の皆さん、ありがとう。
0 件のコメント:
コメントを投稿