長崎のカトリック修道士。17歳の時、原爆を受けて、この道に入る。 生かされて来た数々の恵みの中で、今年の1月、最大の試練「すい臓がん」を告知された。 「みむねの・ままに」。孤独と苦痛に耐え得るチカラを日々、祈る。 毎日、日記を書き続けて13年。今、長崎市の病院・ホスピス病棟で暮らす。 追記 2021年4月15日 午後6時48分 帰天されました。享年93歳
2014年4月5日土曜日
疑う余地はない。日々新たに前へ進みましょう。行こ。
★1幅の掛け軸がかかっていた。温泉宿・富士屋さんの玄関を入ったところにあった小さな床の間です。字に興味がある。難しい漢字。「弄花香満衣」。読みは「花をろうすれば、香りは衣に満つ」。つまり、花を手に取っておれば、いつしか、その香りが移って、着衣にも漂うようになる。★この度、温泉宿へ着たとき、小さな迷いがあった。自分のジンセイを振り返って、人間として生きたが、意味はあったのか。意味があれば、価値がある。価値があれま、満足だ。★藤下先生は、「定めだよ」と言った。山のシスターは、「いつの間にか、奉仕です」。そのように、成って行ったんです。人生とは、そんなモンです。★17歳で、この道に入ったが、正式に修道士になったのは、20年も経って、37歳になっていた。あれから50年の命が与えられたんです。歳をとれば、1つ、1つ、考えの清算をしていく。この場合、何も、言える、余地がありません。意義があったのか、少しでも疑うのは、50年の歳月に、かわいそうだよ。毎年、毎年、○を集めた。○は49になった。あと1つで、50の○です。ありがたい、ジンセイだった。迷いは、ミジンもなくなった。★カンシャのうちに、日々、新たに、前へ進みましょう。★129★
ありがとうございます。2日からずっと拝読させていただいて、ふっきれました。とにかlく生きる、必要とされるために、自分で築いていく。心に響きました。くれぐれもお体おだいじにあそばしますように!お祈り申し上げております。
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