長崎のカトリック修道士。17歳の時、原爆を受けて、この道に入る。 生かされて来た数々の恵みの中で、今年の1月、最大の試練「すい臓がん」を告知された。 「みむねの・ままに」。孤独と苦痛に耐え得るチカラを日々、祈る。 毎日、日記を書き続けて13年。今、長崎市の病院・ホスピス病棟で暮らす。 追記 2021年4月15日 午後6時48分 帰天されました。享年93歳
2014年1月12日日曜日
沖縄の旅。思い出。これぞ司祭なり。歩くのがタイヘン。
沖縄の神父さん。有馬マテオ神父さんです。白いスータンを着て、司祭の意識をちゃんと守っておられる有馬神父さんです。だいたい同じ年令の神父さんです。42年前、グラフの編集者として、沖縄が復帰したとき、開南カトリック教会で、初めて会った有馬神父さんです。そのときからお互いに覚えるよう、知り合いになりました。この度も訪ねていった。司祭は、こうでなければ、と敬服しています。司祭の服を着て、ちゃんとして、おられる。いいですね。トマも修道服はいつも着けようと思います。★さて、沖縄の旅は、少々、自分のチカラに自信をつけた。聖コルベ館に、ジーッとして、居座っていても、いい。あるときは飛び出して、さまざまな事を経験すれば、また新しい出会いもあれば、体験もある。1年1年、がんばろうと思う。★要・支援・2のトマさんです。入浴の介助ヘルパーには来てもらっている。入浴時は、危ない。沖縄旅行中、3度、危険なことがあった。①空港バスの段が高い。お年寄りには、上り下りが、きつかった。転びそうになる。転んだら、タイヘン、みじめだよ。②海中の塔で、30段、下りは、いいが、上るのに苦労した。「倒れたら、どうしよう。救急車は、来ないぞ」。心臓、パク、パク、危険だった。ホント。③海軍の塚。ここは50段。すごい階段が有るのを知って、おりるのは、ためらった。「ここまで来たからにゃ」と、覚悟を決めて降りて行った。★海中・塔へ行くのに、かなりの距離を歩く。幸い、そこには小さく、赤いバスが居って、それで運んでもらって、楽しんだ。もう歩くのがタイヘンなんです。★一応、これで、沖縄の旅は完結にしよう。旅は終わった。さあ、普通の生活を始めるぞ。「トマ、疲れたかと思ったら、ゲンキなカオして帰って来た」と食卓で言われた。食卓の仲間には、こちらから、挨拶だけは、忘れない。「おかげさまで、いい旅、ありがとう」。今朝は、考えた。宗教の役割は何んだろう。①永遠のいのちに導かれる。もちろん、それも、ある。②自分が持っている弱さや、罪を清め、悪習を正して、聖人になる。聖性です。ほかに、何が有るか。③弱い人、貧しい人、困っている人、孤独の人、それらを助ける。それも、あるのでしょう。こうして再確認するのも、いいと、思った。
お帰りなさい。素晴らしい旅でいらっしゃいましたね。
返信削除階段をお上りになられたのは、大きなお恵みでございました。今年もおだいじに、お元気でおすごしあそばされますようお祈り申し上げております。茨城の空